福江八幡宮御旅所の八貫古墳は渡来直後の皇族クラスが葬られている!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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八貫古墳

下関市大字福江地区には前方後円墳とされる天神古墳の他、畑代古墳・長仙山古墳・八貫古墳などの円墳も築かれている。そして、八貫古墳から出土した金環は、畿内の伝天皇陵の他からは出土していない。出土物は国立博物館に所蔵されている(安岡の史誌、wikiより)。

すなわち、この小さな円墳の八貫古墳の被葬者が大きな権力と権威を持っていたと推測され、農耕にあまり適さなく豊ではなかった在地の首長を想定するよりも、矢張り、古代中国から渡来して来た皇族クラスが上陸直後に当地にて埋葬されたと考えられる。

福江八幡宮御旅所の鳥居の左下が八貫古墳、御旅所を造成する為に古墳の石が背後に退けられている。

北浦街道と長仙古墳(南の長府、赤間関方面)

北浦街道は渡来人達が上陸した北浦海岸と瀬戸内海や山陽道を結ぶ唯一の道であった。この北浦街道の沿道に沿って古墳が点在している(参考)。

赤丸: 八貫古墳と福江八幡宮御旅所
青丸: 長仙古墳
南北の道: 北浦街道


参考

古代中国の皇族クラスが下関市で埋葬されていた