九州のアマチュア歴史家がお楽しみとして、現天皇家とは異なる九州天皇家の存在を仮定して、日本書紀や古事記を読み直す九州王朝論を展開している。そして、もし九州王朝が存在するなら九州年号があるはずだとして、地方の私年号を研究している。
参考
① 【東京】「私年号」の板碑など展示 府中で元号企画展 天文との関係も紹介
東京新聞(2019.10.5、参考)
令和への改元にちなみ、府中市郷土の森博物館(南町)は、元号に関する二つの企画展を開いている。公年号とは異なる私年号(しねんごう)を取り上げた「中世東国と改元」展と、天文と年号のかかわりを紹介した「古代の改元と天文」展。どちらも二十七日まで。 (松村裕子)
博物館などによると、改元は、江戸時代までは天変地異や飢饉(ききん)があったときに世の中をリセットする意味があり、私年号は改元されないときに改元を望む民衆の中で流布された新年号。戦乱が続いた中世、年号を決める朝廷から離れた東国で、多くはデマと判明するまで短期間使われたという。
約四十ある中世の私年号のうち最も使われたのは延徳(えんとく)三(一四九一)年に広まった「福徳(ふくとく)」。福徳と刻んだ板碑(いたび)(石の供養塔)は福島、山梨県も含む広い範囲に七十基以上残り、市内にも二基あった。
「中世東国と改元」展では、府中本町駅前で出土した「福徳元年」の板碑をはじめ「徳応(とくおう)」「弥勒(みろく)」「至大(しだい)」などの私年号が分かる板碑約二十点と関連文書約十点を展示。担当者は「世の中をリセットしたい期待が私年号を生んだ」と話す。
「古代の改元と天文」展では、「永祚(えいそ)」と「霊亀(れいき)」の年号を、星とのかかわりを記した文書で紹介。永祚は、九八九年に接近したハレー彗星(すいせい)を異変の前触れととらえ、嫌な空気を追い払うため「永延(えいえん)」から改めた。霊亀は、甲羅に北斗七星の文様のあるカメ(スッポン)が見つかり、めでたいとして七一五年に改元した年号。
月曜、祝日の場合は翌日が休館。入場料は三百円、中学生以下百五十円、四歳未満無料。問い合わせは博物館=電042(368)7921=へ。
② 九州年号(参考)
邪馬台国論争は江戸時代からあった。本居宣長は九州説であった。彼の弟子に鶴峯戊申と言う人物が「九州年号」と言う私年号の対照表をつくった。参照したとする資料は現存しない。
当時もそうだか、邪馬台国が九州にあったなら九州王朝があり、九州年号を持っていたと考えるのは自然であり、江戸時代に二中暦などの私年号を整理して年号対照表を作って、九州王朝の年号であると主張したのであろう。
従って、現在の九州王朝論と九州年号は江戸時代に作られた資料に基づいた議論であり、実在性は疑わしい。
③ 九州王朝論(トンデモ説)