三国志に出てくる魏の曹操も日本と仲が良かった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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三国時代の魏を築いた曹操の墓から出てきた鉄鏡と大分県日田市の古墳から出土の鉄鏡がよく似ているとか!

邪馬台国の女王の卑弥呼が魏に朝貢して銅鏡100枚を下賜されたと魏志倭人伝にあるが、元々、気質と価値観が合ってあっているからであろう。実は、魏の人々は原日本語を喋っていたと考えられる。


雑談

「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいるらしいが、日田の地はヤマト政権に属する地域で前方後円墳が半数近くを占めていた。

日田は江戸時代、天領と呼ばれる幕府の直轄地とされた歴史がある。これは、本州と同じ東京式アクセントの人々と九州弁の無アクセントの人々を仲裁するためであろう。

明治維新後、明治新政府に反抗し、西南戦争を起こした福岡、佐賀、熊本、鹿児島の士族は後者の無アクセントの人々であった。また、現在、皇国史観を否定するために創作された九州王朝論を論じている人々にも関係している。


参考

① 曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表

朝日新聞(2019.9.8、参考)

曹操高陵出土の鉄鏡。全面さびに覆われている=潘偉斌研究員の発表から

中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。


中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。

2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。

金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)



② 奈良盆地で多く出土する三角縁神獣鏡で、舶載鏡は魏の皇帝が下賜した100枚の内であった(参考)、、、SPRING-8の分析で判明した。


③ 現代の日田方言のアクセント(wikiより)、、、本州と同じ東京式アクセントであるが、九州弁に特徴的な無アクセントの影響もある。現在の奈良盆地は京阪式アクセントの地域であるが、古墳時代は東京式アクセントと推定される。



④ 大分県の古墳101基の内、前方後円墳が49基と約半数を占める(参考)、、、、ヤマト政権に属していたようだ。


⑤ 日本語の起源(参考)


⑥ 古代中国の甲骨文字を作った殷は縄文人と同族の国であり、秦、斉、楚、魏、晋、隋、唐、、、などは末裔の国だった。そして、彼らの子孫は日本に帰化(渡来)してきた(参考)。


⑦ 古代中国の魏は殷人の末裔で、原日本語を喋り、価値観をヤマトと共有していた。