昔のお母さんは仕事と子育てを両立していた | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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私は小学校に上がる前、昭和33年頃、一年間、慈光寺と言う曹同宗のお寺が経営する保育園に預けられた。3、4歳上の子供達がベビーブームの時代にあたり、彼らを預かる為に保育園がスタートしたのであった。

私が保育園に預けられるまでは、母親は農業と同時に弟や妹の世話があったので、専ら祖母に面倒を見てもらったようだ。


参考

カゴに揺られて(豊田町豊田中・昭和20年代)

仕事を終え、家路につく母親。カゴに揺られる子どもの笑顔を見れば、重くても苦にはならない。幸せいっぱいの母子である。

(下関・豊浦の100年より)


乳飲み子をおぶって(豊田町豊田中・昭和20年代)

ひと昔前まで、農家の婦人は非常に重労働であった。農作業の傍らで家事、育児に奔走する毎日を送っていた。幼子をおぶっての農作業は当たり前であった。

(下関・豊浦の100年より)