旧下関水族館全景 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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旧下関水族館
(さようなら そして ありがとう 記念集より)

旧下関水族館全景
(海響館10周年記念誌より)

昭和50年(1975年)

昭和38年(1963年)


参考

① 新水族館、海響館

(海響館10周年記念誌より)
海響館オープン

2001年(平成13) 4月1日、 あるかぽーとに開館。長府町外浦にあった下関市立水族館の老朽化による、移転改築である。

4階建てで、延べ面積1万2,300平方メートルあり、外観は、鯨の姿をイメージして造られている。65の水槽に約500種、2万点が展示され、2010年(平成22) 3月には全国で最大の規模を誇るペンギン展示館「ペンギン村」も、増設されている。

海響館の特色は、日本で最初のイルカとアシカの共演、国内では唯一の、シロナガスクジラの骨格標本、下関がフクの水揚げ高日本一であるところから、100種類のフクが展示されている。

(下関市年表より)(彦島のけしきより)


② 海のいのち・海といのち

平成13年4月、下関駅と唐戸地区を結ぶ新たな賑わいの空間、あるかぽーとの一角に、新しい水族館「海響館」が華々しく開館した。

下関の街の成り立ちが海と深く関わっていることから「海のいのち・海といのち」をメインコンセプトとして、水の生き物たちの生態を通じ、自然と人間の関わり合いや、生命の素晴らしさ、自然保護の大切さについて理解を深めようという意図によるものであった。

下関と水族館の関わりの歴史は古い。

昭和26年、松尾守治市長の在任時に、戦時中に鉄材不足で試作されたコンクリート船を活用して水族館にする案が出されたが、構想が貧弱と批判されて頓挫。

そうこうするうちに対岸の門司市が下関に先駆けて和布刈海岸の景勝地に水族館を建てて人気を呼んだことから、水産都市下関の面目にかけても立派な水族館をということで建設工事が始まった。

昭和31年6月、長府の外浦海岸に総工費7600万円を投じた三階建の水族館が竣工。景勝地に33000平方メートルの敷地面積をもち、当時として東洋一の規模を誇った。

さらに昭和33年3月、関門国道トンネルの完成を機に、水族館を主会場として下関大博覧会を開催することになり、新たにペンギン館とクジラ館が増設された。

なかでもクジラ館は他に例を見ないもので、博覧会の呼び物の一つとなった。これは当時、下関に本社を置いた大洋漁業が市制70周年と国道トンネルの開通を記念して市に寄贈したもので、かつて長府藩の城があった関見台の上にシロナガスクジラの実物そのままの大きさに、鉄筋鉄骨コンクリートで再現したものである。

5本の柱で空中に支えられ、高さ15m、長さ27m、胴まわり10m、館内の広さ98平方メートルという雄大さで、内部にはクジラや捕鯨の資料を展示、口の部分はガラス張りで、展望台となっている。

(清永唯夫)

(図説「下関の歴史」より)(彦島のけしきより)


③ 下関市立水族館の今昔