地名の改廃や読み方は地元民にじっくり相談して欲しい | 日本の歴史と日本人のルーツ

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地元民が言う地名と行政が定める地名の間に違和感があったり、昔からの住人と新しく他地域から入って来た住人で読みの異なる地名がある。

例えば、勝山地区の秋根の北隣の「石原」であるが、地元民は「いしわら」、新人は「いしはら」と呼んでいる。また、安岡地区の冨任(富任、とみとう)の漢字について、農村地帯の大字地名は「冨任」であるが、新興住宅地の住居表示では「富任」と、よく見ると違っている。また、本来の地名は畑代(はたしろ)であるのに、新興住宅地として開発されて安岡六丁目に変更された残念な事例もある。

歴史的な地名には、深い意味が隠れている可能性が大きく、大切にしたい。


雑談

① 福江の地名由来、五島列島の福江島の他、6ヶ所、福江地名があるが、相互に関係がありそうだ(参考)



② 安岡の読みについて、安岡は通常「やすおか」と読むが、地元民は「ヤソオカ」と呼ぶ。郷土史家によると、安岡地区は江戸時代、隠れキリシタンが特に多い地区で「ヤソ(耶蘇)オカ」と隠語で呼んでいた名残と言う。また、安岡の由来は神功皇后が「やすらがおか」と名付けたとの有名な説もある。


③ 現長門市にかつてあった地名に「大津郡」があったが市町村合併で無くなり、大津緑洋高校に名残がある。近くの島に青海島(おおみしま)があるが、滋賀県の大津と近江(おおみ)との不思議な関連が伺える。前者には王子山(おうじやま)、後者には皇子山(おうじやま)があることを指摘したい。


参考

【下関市の町名の読み方がおかしい件】

ここ最近、住居表示の標識が新しくなっており、それはそれで良いことであるのだが、振り仮名を見て「あれっ?」と思うような標識もなくはない。

例えば「貴船町」。子供の頃から「キフネ」と読んできたし、周りの大人も「キフネ」だった。地元の古老に聞いても「キフネ」と言う。

そもそも貴船町には、京都から水神様として勧請してきた貴船神社(キフネジンジャ)があり、それが町名の由来となっている。だからこその「キフネ」であるのだが、何故に「キブネ」と濁るのか。貴船神社に不敬であろうw

国の「住居表示に関する法律」が施行されたのは昭和37年のことで、下関市で関連条例が施行されたのは昭和38年。70歳を過ぎた人たちも「キフネ」なので、その当時も「キフネ」と呼称していたことは間違いないが、はてさて…。

こうした地元住民と行政とで読み方が一致しない事例は「貴船町」に限った話ではない。「員光」もそうである。行政では「カズミツ」となっているが、住民は「カジミツ」という。「蒲生野」も、行政は「カモウノ」だが、住民は「カモノ」と言っている。

一方で、住民の読み方が採用されている場合もある。その最たるものが「阿弥陀寺町」で「アミダイジ」が正しく、世間一般の「アミダジ」とはならない。「岬之町」は「ハナノ」であって「ミサキノ」ではないし、「古江小路町」も「フルエショウジ」であって「フルエコウジ」ではない。

このように地元住民の呼び習わしが生きている読み方もあれば、貴船や員光のように呼び習わしが採用されていない読み方もあり、それが混在しているのが現状だ。感覚的には、中心街や行政庁に近いものほど、呼び習わしが採用され、遠いほど地名辞典などの文献に依拠している感はある。

パソコンもネットもない当時の作業の煩雑さを思えば、いちいち当該町内の住民に電話等で読み方をヒアリングしたとは考えにくいが、市民の生活に直結する部分だけに資料の収集はしっかりとしていただきたいものである。

現実問題として、住所を書く時に振り仮名を記載する場面は多くあり、そこで混乱をきたすことも多々あるのだから。それに、町名にはその町の歴史があり、貴船町のように読み方に町名の由来が反映されている場合は、その歴史の継承問題ともいえるわけだから、公共の利益のためにも是正できるなら是正していただきたい事案ではある。