幕末の下関に写真師が居た | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関には幕末に活躍した坂本龍馬を写した写真が残り、明治2年年には奇兵隊の集合写真を残している。そして下関で最初の写真館の開設は明治3年と言われている。

明治3年に下関で最初の写真館を開いた人物は富田重範と言われるが、写真撮影技術の習得はその前から行われたはずであるし、明治維新前後の時期に複数の写真師が下関に存在したとも考え難い。

富田重範が幕末の下関での坂本龍馬の姿を捉えていたと考えられる。


参考

① 奇兵隊の集合写真

奇兵隊士集合写真(下関市·明治2年) 、藩士と藩士以外の武士·庶民からなる戦闘部隊である奇兵隊が、戊辰戦争から凱旋したときに下関の裏町で撮影した写真。長府藩の兵士の服装は、慶応3年から洋装になった。(保存版「ふるさと下関」より)


② 幕末の赤間関(下関)に写真師がいた証拠(参考)

下の写真は赤間関の大庄屋の伊藤九三と手代に挟まれて、坂本龍馬が記念写真を撮っている。



③ 長府藩最後の藩主、毛利元敏と家族(参考)

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明治初期(誤り、正しくは中期)、長府毛利家一家、明治3年に下関で第一号の写真館を開いた富田重範が最初に撮った人が毛利元敏だと言われている(ふるさと下関より)。