関彦橋、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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関彦橋(大和町から彦島へ)
彦島水門(大和町から彦島へ)
下関市大和町2丁目13 県道250号線 関彦橋(3D、南から北へ)


参考

① 初代の関彦橋



② 関彦橋の歴史(参考)


この写真は昭和22年の建設中の関彦橋の写真です。この橋は木製で自動車は通行できず、歩道橋として機能していましたが、3年ほどで撤去され、新たなコンクリート橋が26年に着工されました。


そして、昭和29年5月4日、新しい関彦橋の竣工式が行われました。新しい関彦橋は延長234メートル、有効幅6メートルで、曲線の美しい橋となりました。


将来に向けた交通量に対応するため、幅を倍にする工事も昭和31年8月に完了し、彦島と下関を結ぶ大動脈となりました。


しかし、昭和31年に拡幅されたとはいえ、車線は完全には2車線確保されておらず、普通車がやっと2台並んで走行できる程度、大型バスは両方の車線にまたがって走行する状態でした。



③ 大和町と東大和町(参考)



④ 関門鉄道トンネル(参考)



⑤ 関門海峡フェリー(参考)



⑥ 小戸と彦島大橋(参考)



⑦ 彦島水門と水門橋