大境洞窟住居跡、富山県氷見市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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波浪の浸食により形成された自然洞窟と言われ、1918年に縄文時代から室町時代まで続く6層の住宅跡が発見された。

相当古い聖なるラインの支点となっており、縄文人が掘削した洞窟住居と考えられる。

大境洞窟住居跡

① 赤丸: 大境洞窟住居跡
② 赤四角: 石動山(信仰の山)
③ 赤白四角: 穂高神社
④ 黄丸: 気多大社
⑤ 黄四角: ヒスイ海岸
⑥ 緑丸: 弁天島(弁天崎)
⑦ 緑四角: 熱田神宮
⑧ 青丸: 永平寺
⑨ 青四角: 白山比咩神社
10 白丸: 白山比咩神社奥宮
11 白四角: 朝鳥明神


参考

① 【富山】大境洞窟住居跡  歴史を刻む 巨大な

北陸中日新聞(2019.2.3、参考)


氷見市大境の灘浦海岸。富山湾越しに望む立山連峰の美しさについ目線が行ってしまうが、海と反対方向に振り返ると断崖がそびえる。前には白山社拝殿。背後に回ると、目の前に巨大な穴が現れた。国史跡・大境洞窟住居跡だ。

洞窟は現在より海水面が高かった約七千年前の縄文時代に波の浸食によってできた。高さ八メートル、幅十六メートル、奥行き三十四メートル。洞窟内には白山社本殿が立つ。

注目を浴びたのは一九一八(大正七)年、本殿の改築で地盤を掘り下げたことがきっかけだった。多数の人骨や土器、動物の骨などが見つかり、専門家が発掘調査を開始。縄文中期-室町時代ごろまで六つの地層が確認され、各時代の遺物を含む層の順番から縄文と弥生の新旧が裏付けられた。

「洞窟の中でずっと生活していたというより、一時的に滞在したのかもしれない」。氷見市博物館の大野究(もとむ)館長(57)はこう推察する。信仰や祭祀(さいし)の場としても使われていたとみられる。

昨年には発掘からちょうど百年の節目を迎えた。大野館長は「日本初の洞窟遺跡の調査で、洞窟遺跡に注目が集まるきっかけになった」と強調し、後世への保存を願う。(山中正義)


② 大境洞窟住居跡(参考)

日本で初めて調査された洞窟遺跡。波浪の浸食により形成された自然洞窟と言われ、1918年に縄文時代から続く6層の住宅跡が発見されました。多数の土器や石器が出土し、弥生時代を中心に20体以上の人骨も発見されています。この発掘によって、縄文文化と弥生文化の新旧が明らかになったほか、弥生人骨の発見で、弥生期の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)に注目が集まりました。国指定史跡となっています。