伊是名島のアハラ御嶽は沖縄本島の斎場御嶽、日本列島の本島の神社などと聖なるラインで繋がるネットワークを構成していた。
そして、斎場御嶽と共に琉球王国の聖地であった。
アハラ御嶽(右手前)と伊是名城跡(左のピラミッド)
降神島に降りた神さまが、次に行ったのはアハラ御嶽。この場所から、神さまは世界をまばゆいばかりの光で照らして、真っ暗な世界が明るくなったのだそうだ(参考)。
伊是名城跡は伊是名島の南東に位置し、11世紀~14世紀のグスク時代に築城されたと伝えられています。三山を統一した尚巴志王の祖父鮫川大主により石垣で固められ、海側が絶壁となっていることから、難攻不落の城と言われていたそうです(参考)。
アハラ御嶽(赤)、ギタラ(青)、降神島(黄)、伊是名城跡(緑)
参考
沖縄県指定天然記念物 昭和52年5月9日 県指定
アカラ御嶽は海抜663メートルの珪岩を基盤とする丘の上にある。頂上部から中腹にかけて標高3~4メートル程のウバメガシ群落、その下方は標高5メートルほどの矮形化した松からなるリュウキュウマツの群落が発達する。ウバメガシは伊豆半島以南の沿海地に生育し、沖縄県内では伊平屋島、伊是名島、沖縄島に自生している。本地域はウバメガシ群落の南限で、林内にはオーストラリアと伊是名島だけに分布するイゼナガヤが生育していることもあって、生物地理学上、貴重な地域である。
昭和62年3月2日 沖縄県教育委員会 伊是名村教育委員会
⑵ 伊是名島のアハラ御嶽と聖なるライン
・RDBJ:絶滅危惧IB類(323頁)
・RDBO:絶滅危惧IA類(202頁)
・踏査結果:踏査結果:丘陵のリュウキュウマツ矮生低木林内の林床にオオマツバシバやクロガヤなどと混生。生育立地は日当たりが良く、乾燥した貧栄養の土壌であった。3箇所で個体群を確認し、そのうち1箇所では10m×15mの範囲で約50個体あった。自生地の開発による減少が懸念された。
・学術的価値及び特記事項:伊是名村天然記念物(1982)。沖縄県は分布域の北限、国内唯一の産地。オーストラリア系の植物で、著しい隔離分布を示し、植物地理学上の貴重種である(沖縄県,RDBO 2006)。これまで分布は伊平屋島、伊是名島、渡嘉敷島、座間味島(沖縄県,RDBO 2006)とされているが、沖縄防衛局の報告(普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価書,第6章陸域植物http:// http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/07oshirase/chotatsu/hyoukasyohosei/152.pdf,6-18-77頁)では平成19年度と平成20年度に事業実施区域周辺で個体群が確認されており、沖縄島での新産記録となっている。
伊平屋島、伊是名島、渡嘉敷島、座間味島