現在、西郷隆盛の男系子孫の代表として、愛加那さんを曽祖母に持つ西郷隆文さんと、イトさんを曽祖母に持つ西郷隆夫氏がおられる。
西郷隆文氏はキヨッソーネが描いた丸顔の西郷隆盛によく似ている。
これに対し、今回検討している大阪造幣局で撮影された西郷隆盛の映像はダイエットに苦しんでいるようで頬がこけている。この頬がこけた写真と西郷隆夫氏の写真の頬の幅と唇の大きさの相対的な比率を比較して見ると似てなくもない。
また、西郷隆盛の子供二人も肥満していない通常の容貌の写真を見る限り、太った父親とは似ていない。むしろ、痩せた大阪造幣局の西郷隆盛に近い。
西郷隆盛の顔は太れば従来の広く知られたキヨッソーネの丸顔肖像画に、無理してダイエットして頬が痩ければ、新しく発見された大阪造幣局で撮影された写真の様な印象になるのかも知れない。
西郷隆夫氏、彼のお祖父さんは「イト」との間にできた「西郷虎太郎」(参考)
その他、西郷隆盛と言われる写真や絵の例を若干示す。痩せて面長な顔になったと想像して、痩せた頬と唇あたりを考慮すると、やはり痩せた大阪造幣局の西郷隆盛、すなわち西郷隆夫氏に軍配が上がりそうである。
参考
① 従来の西郷隆盛の肖像画
③ 西郷隆盛の絵
④ ドイツで見つかった西郷隆盛の写真の拡大
これはジュリアス・ヘルムのドイツ語の伝記(参考)に写真が出てくる。
ジュリアス・ヘルムがドイツ語で伝記として残し、書かれたもの。
1874年3月東京の政府から上京するように連絡が入った。陸軍省に招かれ、軍の重鎮がいるので記念撮影をした。和歌山で陸軍創設の折、西郷従道とは面識があった。そこで兄(西郷隆盛)を紹介された。前年11月に鹿児島に帰っていた隆盛は、従道が直ぐに台湾に行かなければならなくなり、弟が兄に台湾の状況を聞くために上京してもらった、と言った。従道が立ったままでいいか聞いていた。座るとお尻が痛くなる。と言ったので皆が大笑いをした。
これは長い獄中生活で象牙病(フィラリア)風土病にかかっていたことを立証出来るものである。
注: この写真は軍服の関係で時期が異なるとして否定されているが、フィラリアが話題に出て来ることと、痩せていることから、否定しきれない。
⑤ 大阪造幣局で明治天皇の行幸に対応する近衛兵のトップの顔の拡大、ダイエットに苦しむ西郷隆盛か!?