子供会か何かのバス旅行で下関から関門海峡をバスに乗ったまま渡った記憶がある。それも、左右に水車が付いた、まるで幕末に太平洋を渡った咸臨丸のような姿をしていたのを覚えている。現在のフェリーのようなものである。
昭和33年頃に関門国道トンネルの開通に合わせて営業を停止したとのことであったので、昭和27年生まれの私は4、5才頃の記憶であった。
行き先は忘れてしまったが、小倉の到津遊園地か、八幡の皿倉山と思われる。
門司百年より、自動車航送船(昭和33年)
参考
① 自動車航送 (参考)
西鉄は1950(昭和25)年、京浜急行電鉄や山陽電気軌道との共同出資により「日本自動車航走株式会社」を設立、同年8月1日から下関ー門司(小森江)間の自動車航走(定期フェリー)事業を開始しました。同航路は1958(昭和33)年の関門国道トンネル開通時まで運行され、日本で最初期のカーフェリーでした。
今回は西鉄本社に遺る写真群の中から、日本自動車航走「関門丸」の記録写真をご紹介します。(写真プリント・画像貸出も可能です)
② 鉄道貨車航送(参考)
本州九州間の国鉄貨物輸送に大変革をもたらした貨車航送は鉄道院から下関・小森江(北九州市門司区小森江笠松町)間の航送作業を請け負った宮本高次(下関市宮本組)が明治44年3月1日から試航送を行い同年10月1日鉄道院とこの航路を関森航路として正式に営業を開始しました。
宮本高次はかねてから貨車航送について深い関心をよせ航送作業を請け負うに当り私財を投じて7トン貨車3両を積載する艀3隻とこれを曳航する小蒸気船3隻を建造し当時の困難な海陸連絡輸送を打開しました。
この貨車航送はわが国の車両航送のはじまりであり当時の下関側発着場がこの地点(シーモール)です。
どこでも普通に見られるフェリーもあったが現在は停止している。代わりに、ほぼ同じルートに、橋またはトンネルを建設するプロジェクトの調査費が国家予算として計上されたようだ。