縄文時代に遡るような磐座の巨石の表面に穴がポツポツある場合、この穴を盃状穴と呼び、自然のものではなく人工的に彫ったものと認められている。
人工的に作られたとしても何のためなのか分からないので、「子孫繁栄や死者の蘇生を願ったもの」と、トンチンカンな解釈がなされている。
古代の磐座(巨石)は古代コンクリート(ジオポリマーコンクリート)を固めて作ったと理解しているが、表面に間違って砂岩の塊か何かが埋まり込んだものが始まりと考えている。すなわち、磐座が完成した時は砂岩の混入に気がつかなかったが、時が経つにつれて砂岩が風化して失われて無くなった結果、盃状穴が残ったと思われる。
時代が下るとともに、意図的に穴を掘るようになったのであろう。
参考
① 三奈木神社の盃状穴(FB友達 浦 伸英さんより)
【盃状穴】Wikipedia から
石に対する信仰は日本でも古くから存在した。日本の盃状石は縄文時代から作られている。元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。古墳時代には古墳の棺に彫られた。 同時代のものとされる福岡県宗像市の大島海岸の岩石に数多くある盃状穴は馬蹄岩と呼ばれる。
鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。
日本では明治時代に坪井正五郎や鳥居龍蔵によって考古学的な研究が行われたが、その後の考古学者の興味を引く事はなく、あまり研究は行われてこなかったようである。最近は民俗学の学者が研究している。
③ 馬蹄岩、宗像市大島
馬蹄型の穴が点在している岩。宗像三女神の一神・田心姫神が馬に乗って沖ノ島へ飛び渡った時にできた馬の足跡だと伝えられている。
④ 和布刈神社の磐座は人工的に作られている(参考)
⑤ ジオポリマーコンクリートで岩を作る