日本の女学校のセーラー服の制定は1920年の平安女学院、現在に続く形式のセーラー服の制定は1921年の旧金城女学校、福岡女学院、フェリス女学院、旧梅光女学院などであった。
著者の母親が卒業した女学校は和服の裁縫技術習得が主目的であった為、洋服化への抵抗があったようで、5年以上制定が遅れた。
参考
① 平安女学院、福岡女学院、旧金城女学校のセーラー服
② セーラー服は名古屋元祖?福岡説より3か月早い
女子中高生の制服の定番となっている「セーラー服」を日本で最初に制服にした高等女学校は、名古屋市の金城女学校(現・金城学院)だとする学術論文が近く発表される。
従来の説では、福岡市の福岡女学校(現・福岡女学院)が有力とされてきたが、同じ1921年(大正10年)で3か月早い。この年以後、各地の高等女学校で次々とセーラー服が採用され、全国に広がったこともわかった。
論文をまとめたのは、服飾史を研究する刑部(おさかべ)芳則・日本大准教授(日本史学)。全国のミッション系高等女学校57校を含む、数百校の私立、公立女学校の記念誌などを比較調査した結果、現在のセーラー服と同タイプの制服は、金城女学校が最も古かった。1996年発行の「金城学院百年史」に、21年の2学期(9月)からセーラー服着用が義務化されたことが、複数の生徒の証言として記録され、写真資料も残っている。
③ 日本の学校のセーラー服の歴史
トンボ ユニフォームミュージアム(参考)
日本に初めて学校制服としてセーラー服が導入されたのは諸説ありますが、1920年(大正9年)に京都の(現)平安女学院が採用したのが最初 (それまでは「着物にちょうちん袴スタイル」だったものが「濃色のワンピースにセーラー衿がついたスタイル」となりました)で、ついで福岡女学院(福岡)が19221921年、フェリス女学院(東京)、金城学院(愛知)などが相次いで採用しています。
ただし、セーラー服をどう定義するかで、いろいろ解釈できます。最もはやく洋服を導入したのは平安女学院(京都)で、これは異論のないところですが、当時のそれは、セーラー衿の付いた濃色のワンピース型でした。現在一般的にセーラー服と呼ばれている上下セパレート型でリボンのついた洋服を採用し、しかも、それをそのまま継続している学校という点では、福岡女学院が最初だといえます。従って、女生徒の制服を本格的に洋装化したのが平安女学院(セーラー衿のワンピースを採用)現在に至るセーラー服デザインを最初に採用したのが福岡女学院(上下セパレート型でリボンのついた洋服)と言うのが適切な表現かもしれません。(ちなみに制服の洋装化という点では、詰襟が早く、明治10年採用の学習院に遡ります)
⑤ 旧下関阿部技芸高等女学校(現早鞆高等学校)
和服の裁縫技術習得を目的の女学校であった為にセーラー服への変更は大幅に遅れて、大正14年(1925年)から昭和6年(1931年)の間に袴からセーラー服に変更した。
⑥ 旧梅光女学院のセーラー服も1921年に制定