韓国では「街を埋め尽くした大群衆の国民運動に応える」として、憲法や法律をすっ飛ばして大統領を刑務所に送ろうとしている。中国も習近平国家主席の任期を無期にするため憲法を変えようとしている。もちろん、北朝鮮は金正恩が世襲の独裁者であり、憲法や法律はどうにでも変えられる。
北東アジアの日中韓と北朝鮮の4ヶ国の内、法治国家と言えるのは日本だけである。
かつて、秦の始皇帝は厳格な法治主義をとったが、厳格すぎて短命政権となったと言われている。現時点で秦の始皇帝の志を受け継いだ国は日本のみと言える。
① 朴前大統領の弾劾訴追を見れば韓国立法・司法の歪み分かる
弾劾が成立し罷免された朴槿恵前大統領 AP/AFLO
これまで、法律より感情を優先する韓国の性癖に日本は振り回されてきたが、それは韓国の財閥グループを巡る贈収賄事件で、検察から懲役30年、罰金1185億ウォン(約118億円)を求刑された前大統領の朴槿恵被告の公判を見ても分かる。厄介極まりない隣人に我々はどう接すべきか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が提言する。
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韓国が厄介なのは、政府だけでなく、立法府や司法までも歪んでいることです。朴槿恵前大統領の弾劾訴追を見れば実情がよくわかります。
韓国の国会は2016年12月に朴氏の弾劾訴追案を可決しました。国の最高責任者を弾劾するわけですから、大統領が憲法違反の重大な罪を犯した事実などがなければ訴追できません。
しかし朴氏の弁護人を務めた金平祐弁護士によると、訴追状には「街を埋め尽くした大群衆の国民運動に応える」と記されていたそうです。
日本で安保法制が審議された際に、国会周辺ではSEALDsや左派系文化人などがデモを行いましたが、そのデモを理由に安倍首相が弾劾されるようなもので、法治国家の体をなしていません。韓国の国会は法律よりも国民感情を優先したことになります。
おかしいのは憲法裁判所も同じです。
国会で可決された弾劾訴追案は憲法裁判所で審議され、裁判官8人が全会一致で支持しました。金弁護士によれば、憲法裁判所の設立30周年を祝う記念誌には、弾劾訴追を支持したことについて「革命的な決定だった」と記されているそうです。法の番人である憲法裁判所がなぜ法を無視して「革命的な決定」を下すのか。法治国家とは言えない異常な事態です。
ジャーナリストの櫻井よしこ氏
そうした背景には何があるのでしょうか。金弁護士は、韓国の司法は北朝鮮に乗っ取られていると指摘します。
実態は不明ですが、1970年代から韓国では密かに金日成が提供する“奨学金”を利用してソウル大学法学部などに進む学生が多数いたと言われています。家庭が貧しくても頭脳明晰な学生を支援して親北派に育て上げ、司法試験の勉強をさせたのです。典型例が盧武鉉大統領だと言われます。そうした学生が卒業後に法曹界に浸透し、韓国の司法を操っている疑いがあるのです。
●さくらい・よしこ/新潟県長岡市出身。ハワイ州立大学卒業。元日本テレビ「きょうの出来事」キャスター。1995年、『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で大宅賞受賞。執筆・講演活動を続ける一方、インターネット放送「言論テレビ」を運営中。※SAPIO2018年3・4月号
② 中国共産党、国家主席任期撤廃を提案 習近平の独裁長期化へ
中国国営の新華社通信によると、中国共産党は25日、国家主席の任期を撤廃するため憲法の改正を提案した。実現すれば、習近平国家主席(64)は2023年以降も続投できることになる。
新華社は詳細について触れていない。提案は党中央委員会が行ったもので、任期撤廃の対象には副主席も含まれているという。
現行憲法では、習国家主席は2期(1期は5年)の任期終了後の退任が定められている。任期終了を控え、習国家主席は3月5日に開幕する1年に1度の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で正式に選出され、二期目に入る見通し。
③ 中国、国家主席の任期撤廃へ 習近平、鄧小平が作った壁を壊す
JCASTニュース(2018/2/26、参考)
中国共産党中央委員会は2018年2月25日、国家主席の任期を「2期10年まで」とする憲法の規定を撤廃する改正案を、国営新華社通信を通じて発表した。03年に就任した習近平主席の任期は23年までだが、改正でさらに長期政権が可能になる。
多選を制限する仕組みは、権力の集中を防ぐことを目的に導入され、今回の憲法改正で習氏の「一強」がさらに強化されるのは確実。習氏は国家主席以外にも「中国共産党中央委員会総書記」「中国共産党中央軍事委員会主席」の肩書を持っており、早くも共産党系メディアには「三位一体」の状態が続いて習氏に権力が集中することの重要性を説く論調が出ている。
④ 法家(ほうか、wikiより)
法家とは儒家の述べる徳治のような信賞の基準が為政者の恣意であるような統治ではなく、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという立場である。秦の孝公に仕えた商鞅や韓の王族の韓非がよく知られている。商鞅は戦国の七雄に数えられた秦に仕え、郡県制に見られるような法家思想に立脚した中央集権的な統治体制を整え、秦の大国化に貢献した。韓非は性悪説に基いた信賞必罰の徹底と法と術(いわば臣下のコントロール術)と用いた国家運営(法術思想)を説いた。また、韓非は矛盾や守株待兔といった説話を用いて儒家を批判したことでも知られている。中国統一を果たした始皇帝も、宰相として李斯を登用して法家思想による統治を実施した。
ただし、秦において法が厳格すぎたがゆえのエピソードとして以下のものがある。
・新法の改革をした商鞅は反商鞅派によって王に讒訴されて謀反の罪を着せられた際には、都から逃亡して途中で宿に泊まろうとしたが、宿の亭主は商鞅である事を知らず「商鞅さまの厳命により、旅券を持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております。」と断られた(商鞅は逃亡の末、秦に殺害された)。
・燕の使者である荊軻が隠していた匕首で秦王の政(後の始皇帝)を殿上で暗殺しようとした際には、秦王は慌てて腰の剣が抜けない中で匕首を持った荊軻に追い回されていたが、臣下が秦王の殿上に武器を持って上がることは法により死罪とされていたため対応に難儀した(最終的に秦王が腰の剣を抜いて、荊軻を斬り殺した)。
・辺境守備のために徴発された農民兵900名は天候悪化のために期日までの到着が見込めなかったが、いかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首であったと史記に書かれている(これが秦を滅ぼす戦乱のきっかけとなる陳勝・呉広の乱の要因となった)。