石見畳ヶ浦という限られた範囲に特殊な景勝地が島根県にある。限られた範囲の特殊な不自然な地形、例えば巨石群、ピラミッド状の山などと同じく人為的な地形で、聖なるラインのネットワークのノード(支点)ではないかと疑った。果たして、石見畳ヶ浦は朝鮮半島の竹幕洞祭祀遺跡と日本列島の中国地方を結びつけるノードであった。
石見畳ヶ浦は自然かつ偶然によるもので明治初期の1872年に発生した浜田地震で隆起して出来たのであろうと学者は考えているが、そうではなく、石見畳ヶ浦の一帯は古くから既に「床浦」と呼ばれ、古代人が作ったものであった。
また、腰掛けのような丸い石(ノジュール)は貝殻に含まれる炭酸カルシウムの働きでコンクリート状になっている。地質学者は「全国的にも稀な現象で、畳ヶ浦を代表する特徴的なもので、地質学的にも極めて貴重なものである」と考えているが、これこそ、古代のコンクリート技術によって作られた証拠である。
海蝕洞の内部に地蔵菩薩が置かれており、古代人が自ら作った作品の存続を願って安置したのであろう。
② 黄丸: 竹幕洞祭祀遺跡
③ 緑四角: 葦嶽山と大避神社
① 赤丸: 石見畳ヶ浦
② 緑四角: 葦嶽山
③ 黄丸: 見島ジーコンボ遺跡
④ 黄四角: 投入堂
⑤ 赤四角: 宮島と八幡浜市の八幡神社
⑥ 青四角: 大土山と千光寺と紫雲出山
⑦ 白四角: 香春神社
⑧ 白丸: 高津柿本神社
参考
石見畳ヶ浦(いわみたたみがうら、wikiより)
一帯は古くから「床浦」と呼ばれた景勝地だが、1872年に発生した浜田地震によって海底が約30cm隆起、今にみられるような千畳敷と断崖が融合した景観となった。地質学的に大変貴重であり、1932年に国の天然記念物に指定されている。なお、隆起量が1m程度とする説もあるが地震後40年余り後の調査であるため信憑性が低い。