宇喜多秀家時代の内堀が出てきた! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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岡山城の宇喜多秀家が城主だった時代の内堀が出てきたとか!

今の岡山城の天守閣あたりでも広いなと思っていたら、実はもっと広かったようで、岡山県庁も含む広大な敷地があった。今回の内堀跡はグーグルマップに示した大手門跡の東隣のようだ。

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赤四角内に大手門跡,赤四角内の右手(東側)に内堀跡が出土した。

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参考

岡山城に「幻の内堀」実在か 二の丸跡で出土、最古の絵図と酷似

山陽新聞(2017.12.30、参考)

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発見された直角に曲がる堀跡(青色部分、写真左が北側)=岡山県古代吉備文化財センター提供

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慶長期の「備前国図」(部分)。赤線の部分の堀跡が出土したとみられる=岡山大付属図書館蔵

岡山城二の丸跡(岡山市北区内山下)の発掘調査で今春出土した堀跡が、同城の最古の絵図に描かれているものの、存在が確認されていない“幻の内堀”の可能性があることが、30日までに分かった。近世城郭の基礎が築かれた宇喜多期(16世紀末)にさかのぼる遺構とみられ、注目を集めている。 

堀跡は岡山県警本部の新庁舎整備に伴い、県古代吉備文化財センターが調査した県庁南庁舎跡から出土。南北方向から西へ直角に曲がり、確認できる範囲で南北約18メートル、東西約11メートル。側面には断続的に石積みが見られた。同センターは堀は幅20メートル以上、深さ4メートル以上と推定。底の遺物などから遅くとも宇喜多秀家が城主だった1590年代に機能していたとみられる。 

その後の調べで、岡山城を描いた絵図として最も古い慶長期(1596~1615年)の「備前国図」(岡山大付属図書館蔵)に今回見つかった堀跡と場所が近く、形が酷似した描写があることが判明した。 

絵図は絵画的にデフォルメされており、旭川東岸に描かれた城郭などは元和期(15~23年)以降の詳細な城下図に見られないことなどから、内堀も架空の描写と考えられてきた。今回の堀跡は、城の西方に描かれている内側から2番目の堀で、南端が西に直角に曲がる部分と推定される。 

宇喜多期に従来知られている内堀より古い堀が実在した可能性が高まり、岡山大の倉地克直特命教授(日本近世史)は「岡山城下の変遷を遺構と史料の両面から追う上で興味深い成果」と評価する。 

発掘調査では堀の内部に洪水で土砂が流れ込んだ痕跡も確認。同センターの高田恭一郎調査第二課長は、絵図との関連は十分な検証が必要とした上で「17世紀の早い段階で内堀が改変されたようだ。城下町の拡張や防備強化が目的と考えられるが、水害がきっかけになったこともあり得る」と推測している。