出石町の辰鼓楼 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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出石町の辰鼓楼は時計台として90年ぶりの大修理を完了して動き出した。もともとは明治4年に建てられ、14年に時計台になったとか!

元々は何のために作られたのか?四国の琴平町に似たような建造物があるが、高灯籠と名が付いている。すなわち、江戸時代までは近隣周辺を照らす街路灯であったのであろう。

ちなみに、琴平町の高灯籠は瀬戸内海を通る船の灯台として建てられ航海の安全の為にあると説明されるが、現在は瀬戸内海から見ることは出来ないし、昔もほとんど見えなかったと思われる。

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辰鼓楼

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辰鼓楼、出石町(3D)

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豊岡市出石町(3D)


参考

① 出石の時計台「辰鼓楼」90年ぶりの大修理完了 豊岡

神戸新聞(2017.10.25、参考)

約90年ぶりの大修理が続いていた、兵庫県豊岡市出石町の時計台「辰鼓楼」の工事がこのほど終わり、24日、同町内町の市役所出石庁舎前の広場でお披露目会が開かれた。住民らが記念のくす玉を割って祝い、改修された壁板や内部を見学した。

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約90年ぶりの大修理の完了を祝う関係者ら=豊岡市出石町内町(但馬國出石観光協会提供)

1871(明治4)年、出石藩が建てた高さ約13メートル、木造4階建ての塔。81年に機械式時計が付けられて時計台となった。周囲の城下町とともに国の重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれ、町のシンボルとして長く親しまれている。

建物を後世に残すため、同市が今年5月下旬から修理していた。全体を解体する規模の工事は昭和初期以来といわれ、約5カ月かけて耐震補強し、ほぼ全ての壁板を交換した。

お披露目会は、但馬國出石観光協会が主催し、市や地元団体の代表者らが出席した。工事を担った設計士が、これまでの作業を説明した後、全員でくす玉を割った。

式典後は内覧会があり、観光客ら計約50人が塔内部へ。最上階では城下町の景色も楽しんだ。同協会は「定期的な見学会も計画したい。出石の歴史に触れ、魅力を感じてほしい」とした。(秋山亮太)


② 高灯籠、香川県多度津郡琴平町

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高灯籠

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高灯籠は琴電琴平駅の隣