太宰府天満宮、防府天満宮と安徳天皇西市陵墓参考地の関係 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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菅原道真公を祀る防府天満宮と太宰府天満宮が宝満宮竈門神社を支点として創建されている。宝満宮竈門神社は東に宇佐神宮、南に高良大社があり動かすことは出来ない。延喜4年に防府天満宮、延喜5年に太宰府天満宮の社殿が建てられているので、防府天満宮と宝満宮竈門神社の延長に太宰府天満宮が位置するようにしたと考えられる。

さらに、沖ノ島から香椎宮への聖なるライン上となるようにして位置を確定したようだ。

ところで、安徳天皇は平安時代の最終期に亡くなっている。菅原道真公より280年年後のことである。すなわち、防府天満宮の創建により、神功皇后の三韓征伐の時代に創建された東門鎮護住吉八幡宮に向かうラインと北緯34度14分(の沖ノ島)の緯度が交差するあたりは神聖なゾーンとなっていたと思われる。この神聖なゾーンにワザワザ、御遺骸を運んで葬ったと考えられる。

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① 赤丸: 防府天満宮、周防の国府の松崎
② 黄丸: 安徳天皇西市陵墓参考地
③ 緑丸: 太宰府天満宮と宝満宮竈門神社(参考)
④ 白丸: 英彦山神宮
⑤ 黄四角: 香春神社
⑥ 黒四角: 東門鎮護住吉八幡宮
⑦ 青丸: 足立山妙見宮

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① 緑丸: 太宰府天満宮
② 白黒丸: 香椎宮
③ 黒丸: 沖ノ島
④ 白青丸: 宇美八幡宮


雑談

下関市の赤間神宮の安徳天皇阿弥陀寺陵は真の陵墓では無かったことになる。治定された当時、五輪塔があったことを根拠としており、それ以上の意味はないとのことである。


参考

① 防府天満宮(wikiより)

菅原道真が亡くなった翌年である延喜4年(904年)に創建され、「日本最初に創建された天神様」を名乗る。


② 太宰府天満宮(wikiより)

右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国大宰府員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した。死後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)がを建立、天原山庿院安楽寺と号した。

一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である。


③ 安徳天皇の崩御(wik iより)

寿永4年3月24日(1185年4月25日)、関門海峡に入水した。


④ 梶返天満宮

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① 赤丸: 梶返天満宮
② 黒丸: 防府天満宮
③ 青丸: 狗留孫山
④ 緑丸: 東門鎮護住吉八幡宮
⑤ 黄丸: 和布刈神社
⑥ 白丸: 香春神社