秦(シン)の国を支那(シナ)とか震旦(シンタン)とも呼ばれいる。秦は後の漢時代から漢民族に付けられた名前で、シナが秦の始皇帝と国民の秦氏自らが呼んだ国名であり、インド発の名前では無いことを指摘した(参考)。シナの音写としての支那や震旦は、音だけで意味は無いのであろうか??
現代の漢字の意味から推測すると、支那とは「星空の美しい村」と解釈した。支は十二支に由来し、星空を12区画に分けたもの(天道12宮)ではなかろうか!?そして、那は美しい村を意味すると言う。秦の始皇帝は星空の下で天子になったと言われ、もっともらしい説明になりそうである。震旦とは「始動・夜明」と解釈した。初めて東アジアを統一した帝国にふさわしい名前である。
徐福が書いたとされる歴史書「支那震旦國皇代歴記」の題名に支那震旦國と支那と震旦を連結しており、この歴史書の真偽を疑っている者にとっては奇異に思える。しかし、この四文字を連結して解釈すると星空の美しい夜明の国となる。
こう解釈すると、秦と言う漢風の国名より、支那とか震旦の方がはるかに素晴らしい呼び名と言える。
ちなみに、「秦」の字義は「上へ上へと伸びる稲穂をキネでたたく」ことであり、こんな酷い字は他に無い。漢代の歴史書の史記などに秦の始皇帝の悪評が溢れているが、国名の秦の字も最悪のものであった。子孫の秦氏は自分を羽田とか波多、幡多、波田、幡、畑などと自称したが、可哀想にも秦の隠された意味を知らない他人から秦(はた)と呼ばれていたことになる。
雑談1
朝鮮半島に三韓時代の後、一時期、任那があった。この国は直ぐに百済や新羅に吸収されたが、倭国の国の一部で任那日本府があったとされる。当時の朝鮮半島には現代朝鮮人の祖先は存在せず、任那(みまな)の由来を古朝鮮語なる存在しない言語では解釈は出来ない。任の現代の意味は委任(任せる)であり、ヤマトに任せた美しい村と解釈できる。
注: 任那の語源については、『三国遺事』所収の『駕洛国記』に見える首露王の王妃がはじめて船で来着した場所である「主浦」村の朝鮮語の訓読み(nim-nae)を転写したものとする鮎貝房之進の説が日本の学界では主流を占める。、、、となっているが誤解である。当時の朝鮮語は朝鮮半島には存在せず、nim-naeはまさに現在にも通じる漢風の音読みである。
雑談2
現代の日本に伊那(長野県)、恵那(岐阜県)、藍那(兵庫県)などの地名の解釈にも、那の意味を美しい村とすると、スッキリ腑に落ちる。
参考
① 那の意味(一期一名、参考)
「那」には、「多い」「美しい」という意味があります。
もともとは古い中国の地名を表す漢字で、ヘンには「冄(ゼン)」という漢字が使われていました。「冄」は糸や毛が多くしなやかに垂れていることを表し、ツクリの「阝(おおざと)」は「特定の土地」を表し、2つを組み合わせて「しなやかで美しい村」を指していたとされます。そこから「冄」がもつ「多い」「美しい」の意味だけが残りました。現在では花が美しく茂って盛んな様子を表す「阿那(アダ)」という言葉で使わることがあります。
ちなみに、辞書を調べると「那」には反語や疑問を表す意味もあります。これは「なんぞ」という疑問や反語を表す言葉に対して、たまたま「那」が当てられたことに由来します。
② 支の意味(goo国語辞書、参考)
[音]シ(呉)(漢) [訓]ささえる つかえる
1 枝分かれする。枝分かれしたもの。「支局・支線・支店・支部・支流・気管支」
2 分かれてばらばらになる。「支離滅裂」
3 分けて出す。「支給・支出・支弁/収支」
4 物事をはかる。「支度(したく)・支配」
5 ささえる。「支援・支持・支柱・支点」
6 つかえる。さしさわり。「支障」
7 十二支。「」
8 「支那 (しな) 」の略。「日支」
[名のり]なか・もろ・ゆた
[難読]
③ 震(wikiより)
震(しん)は八卦の一つ。卦の形はであり、初爻は陽、第2爻・第3爻は陰で構成される。または六十四卦の一つであり、震為雷。震下震上で構成される。
卦象
原義は最も下(創め)に一陽が生じて、限りなく前進する様子。ここから始動の時・雷鳴(雷の音)・龍・足・長男・若い男性などを象徴する。方位としては東(地支では卯)を示す。現代社会では電信電話・高速通信など。時に嘘つきにもなる。肉体では聴覚・肝臓・代謝など。
先天図
伏羲先天八卦における次序は四であり、方位は四隅卦の一つで北東に配される。陰陽消息は一陽が生じたところである。
④ 旦(コトバンクより)
たん【旦】[漢字項目]
[常用漢字][音]タン(呉)(漢)ダン(慣)
⑴〈タン〉あさ。夜明け。「旦夕/一旦・元旦・吉旦・月旦・歳旦・早旦・明旦」
⑵〈ダン〉「檀」の略字。「旦那(だんな)」
[名のり]あき・あきら・あけ
⑤ 支那の語源についての考察(参考)、、、シナそのものはインドから来たと考えている。