潜水艦修理用ドック、川崎重工業、神戸 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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川崎重工業神戸工場の最北部ドライドックに潜水艦が見える。

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中央左、川崎重工業神戸工場


参考

潜水ドック60年ぶり改修 隻数増で受け入れ体制強化へ 川重神戸工場

神戸新聞(2017.8.10、参考)

開港150年目となる神戸港の一角、川崎重工業神戸工場(神戸市中央区)で、潜水艦の修理用ドック改修や乗組員向け施設の建て替えが進んでいる。同社が戦後に潜水艦の建造を再開して以来の大規模な改修となる。中国海軍による日本近海での活発な動きを受け、政府が2011年からの10年間に、海上自衛隊の潜水艦を1・3倍の22隻に増やすことに対応する。(高見雄樹)

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潜水艦を2隻同時に修理できるように改造が進む川崎重工業神戸工場の第4ドック=神戸市中央区東川崎町2(撮影・藤家 武)

海自の潜水艦は同工場と三菱重工業神戸造船所(同市兵庫区)で、毎年交互に1隻ずつ建造されている。神戸港が日本の玄関口として発展した1906(明治39)年、川重は国産初の潜水艦を建造。太平洋戦争後の建造中止期間を挟んで57(昭和32)年に再開。60年、戦後初の国産潜水艦「おやしお」を完成させるなど、日本の潜水艦技術をリードしてきた。

建造再開から60年を経て、川重は2013~19年度に約150億円を投じて神戸工場の設備改修を進めている。中でも最大の工事が、神戸ハーバーランドから目と鼻の先にある修理用「第4ドック」の改造だ。

同ドックは長さ215メートル、幅34メートル。潜水艦の増加に合わせ、2隻を同時に受け入れられるよう、中央に壁を設けて2分割した。またドックの底を掘り下げ、潜水艦の大型化に対応する。

潜水艦が定期修理のためドック入りすると、約70人の乗組員も工場内に寝泊まりし、自ら修理したり修繕作業を監督したりする。家族を呼び寄せて、つかの間の水入らずを楽しむ隊員もいるという。

川重は社員の福利厚生施設として親しまれた「パトリシア会館」などを取り壊し、こうした乗組員向け宿泊施設として再整備する。18年度中の完成を目指し、乗組員の受け入れ可能人数を現在の2倍に増やす。

宿舎とは別に、乗組員向けの調理スペースや食堂、会議室などが入る「ドックハウス」と呼ばれる建物も建て替える。修理のための工場建屋の改築や、艦内に搭載するリチウムイオン電池関連の工場も拡張する。

神戸工場の造船事業に占める潜水艦の割合は8割以上に達する。川重の船舶海洋カンパニーは「改修工事は今後も神戸で事業を続けるために必要な投資で、今がピークに当たる。乗組員の環境も格段に良くなるだろう」としている。

■パトリシア会館 1951(昭和26)年、川重が戦後初めて受注した大型タンカー「パトリシア」の進水を記念し、船主ラーセン氏の夫人から贈られた資金を元に建設された。パトリシアは同氏の娘の名前とされる。53年10月に完成。2階に大ホール、1階に和洋室が5部屋あり、社員の親睦や地域の交流の場として利用された。