漢文は中国語の古典では無かった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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漢文は秦の始皇帝が定めたエスペラント語で、東アジアの多くの民族がコミュニケーションする為の人為的な言語であった。

しかし、我々日本人がこの古代の言語を漢文と呼ぶように、日本語よりも中国語に近いように思えた。日本人は漢文の漢字を適当に音読みしたり訓読みたりし、返り点やテニヲハを挿入して読み下した。これを日本語として書くには、すべて万葉仮名で記述するか、漢字仮名交じり文にするか、平安時代の女性文学のように全て平仮名で書くことになる。

これに対し、中国大陸本土の古代中国人も似たような事情にあったようだ!古代中国人(特に古代の漢民族)なら苦労せずに漢文を読み書きできたわけでは無かった。漢文は古代、諸民族のコミュニケーションツールとして知識人や支配階級の教養として勉強して身につけるものであった。従って、特定の言語に依存した文法や発音を持っていなかった。

この漢文の特徴の為、民族の興亡の激しかった中国大陸において先代王朝の残した漢文で書かれた各種文字遺産を受け継ぐことが出来たのである。古代の漢字の発音に、漢音、呉音とか唐音と異なった種類があるが、実は漢、呉、唐で実際に話された言語は違っていたのであった。この異なる言語を結びつけたのが漢文であった。さらに、歴代の王朝は自分の正統性を先代の国の歴史を漢文で書き残すことで主張した。そうすれば、異なる言語を喋る王朝でも先代の文化遺産を継承できたのである。

実際には、例えば清の時代においては、漢文を読解する為に満州文字(17世紀頃制定したフェニキア文字をルーツにした表音文字)で解釈したようだ。

さらに、漢民族は漢字の発音を漢字で記述する半切を1世紀頃に発明し、また日常生活で喋る口語に合わせた白話文と言うものを唐王朝時代に発明したが、現代中国語については、ここ100年かけてピンインと言う一種のローマ字を漢字の発音学習に使用して、北京あたりの普通語の白話文を普及させている。

もっとも、近現代以前の中国の庶民(漢民族)はほとんど文盲であり、漢文、白話文など文字言語と無縁であり、知識・支配階級だけが漢文を勉強すれば良く、文字言語としての中国語など、元々は無かったと考えても差し支えない。

さらに、オリジナルの漢民族であろうと言われるのが客家人であるが、彼らの客家語は北京で話される普通語やその他の方言との間では通訳が必要なくらい、言語が異なっている。


雑談1
古代の日本人は文化的に遅れており、文字を持たなかったので、朝鮮半島経由で文化の進んだ中国から漢文の読み書き文化をもらった!と定説となり、自他共に納得している。しかし、漢文は日本人と中国人(漢民族)と北方遊牧民族と南方少数民族と朝鮮人とベトナム人などを対等に結びつける共通語であった。中国人からもらったものでは無かった。強いて言えば、秦の始皇帝が古代の諸民族に平等に与えたものであった。


雑談2
古代から中国大陸では、先代の王朝の歴史を漢文で書き残した。例えば、漢書、後漢書、三国志、隋書、旧唐書、新唐書などが有名で、王朝自身のことだけでなく周辺の四夷についても漢文・漢語で書かれている。日本でも解読出来て東アジアの歴史は理解出来るが、各王朝や周辺の四夷の民族の喋る本当の言語についてはサッパリ分からないのである。すなわち、漢民族だけでなく周辺の四夷(異民族)の本当の正体は霞みがかって分からないのである。


雑談3
ある説によると、後漢の滅亡したあと大幅に人口が減って北方遊牧民族などが侵入して新たな国が出来たが、この時、これまでの真の漢民族は滅亡したとも言われるが、言語の観点でこれを証明することは出来ない。日本人については8世紀から万葉仮名で書かれた文章があるので、この辺りから日本語の研究が可能となる。朝鮮語に関しては、ハングルが発明された15世紀半ば以前は闇の中となる。


雑談4
言語だけでは、古代朝鮮半島の国々、例えば百済、新羅、高句麗などの民族や言語などの素性を解明出来ない。DNA研究などから現代朝鮮人のルーツは朝鮮半島より北にあったことが証明されている。


参考

① 漢文を中国語とは何事か(参考)

NHKの歴史教養番組の「歴史ヒストリア」の「空海からの贈りもの」でとんでもないことが堂々と語られている。空海の手紙を見せ、ナレーターの渡辺あゆみさんが、空海の手紙について「漢字ばかりが書かれていますね」と言った後、何と「当時の日本人は自分の気持ちを中国語に翻訳して書いていた」というのだ。さらに「この頃の書き言葉、中国語は結局は外国語、日本人の心の世界をうまく書き表わすことはできなかった。」という。その後空海が発明した象形文字による「益田池碑銘」を紹介して空海が自由な表現を求めて漢字を換骨奪胎したもので、これがひらがなの発明につながった、という学者の言葉を紹介している。さすがにこの学者は漢文のこと中国語だとは言わない。

渡辺あゆみさんは漢文という言葉を知らないのだろうか?  中国史などの研究で著名な岡田英弘氏は「この厄介な国中国」で漢文は中国語ではない、と断ずる。もちろん「漢文とは、中国語の古典ではない」のである。漢文は古代中国語の文字表記ではないのだ。だから源氏物語は現代日本人には難しくても読む手掛かりはあるが、現代中国人にとって漢文は発音することはできても、意味は皆目分からないと言う。それどころかには文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない表記であるというのだ。要するに漢文とは表意文字を使った、おそろしく原始的な表現方法である。しかも現代中国人が「温故知新」という論語を読んでも広東語の母語の人と北京語を母語にする人では発音が異なる、という奇妙なことになる。

文字は漢字のように表意文字から始まる。ものの形をまねて文字にするのが一番作りやすいからである。しかし、それでは音声による言語を文字に書き写すことは不可能だから次第に表音文字に進化してもっぱら音を表わすようになる。アルファベットしかり、ひらがなしかりである。ところが漢字は、古いものは絶対に正しく変えてはならないという尚古主義の伝統が災いして表意を墨守したために、実際に使われている言語を表記する手段に進化することができなかったのである。

だから漢字は言いたいことを正確に表現する手段としては極めて不適切な文字である。そこで漢文の古典には必ず意味を解説した注釈というものが必要である。清朝では膨大な四書五経などの漢文の古典を満洲文字で書かれた満洲語に翻訳した。満洲文字はモンゴル文字から生まれた漢字とは関係のない(注: 梵字に似ている)文字である。現代の西洋人は漢文の古典を研究するために死滅したに等しいと言われる満洲語を習う人たちがいるという。満洲文字で書かれた四書五経は漢字では書かれていない解釈を加えて翻訳しているから普通の言語として読むことができるのである。昔の支那では漢文の注釈も漢文で書くしかないから難解で理解できないのである。

空海が漢文では日本人の心の世界をうまく表わせなかったのは、漢文が表現手段としては実に原始的で、心の機微を表現することなど、漢文を書いた中国人にすらできなかったのであって、漢文が「外国語」だからではない。私は漢文の事を中国語と言ったのを聞いたのは生まれて初めてである。渡辺あゆみさんは教養もないお馬鹿な人ではなかろう。その人が大真面目に漢文のことを中国語だと言うのだから世も末である。


② 白話(はくわ、wikiより)

中国語における書き言葉の一種。唐代に生まれ、宋・元・明・清と確立されてきた口語に接近した書き言葉のことをいう。知識人が古典を基礎として作った書き言葉である文言に対し、白話は各時代において民間で話されている口語を反映させようとしており、大衆にも理解されるように工夫されている。

唐代の白話として挙げられるものに敦煌の変文がある。これは民衆に聞かせる意図で作られたものであるので多分に口語が取り入れられたが、いまだ口語を文章として表現する技巧が確立されておらず多分に文言的要素を含んでいた。また唐から宋にかけて流行した語録にも口語がふんだんに取り入れられたが、やはり口語を用いて表現できないものには文言が使われていた。

宋代になると都市において大衆文化が盛んになり、説話といわれる大衆向けの語り物が出し物が隆盛した。その台本を話本といい、大衆に聞かせ、読ませるために、より口語に接近して書く方法が確立された。またやがて話本をもとに小説が作られるようになり、これを白話小説と呼ぶ。


③ 漢文(かんぶん、wikiより)

古代中国の(挿入: 秦の始皇帝が定めた)文語体の文章のこと。または近代中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法(挿入: 漢文特有の文法)で書かれたものをいう


④ 中国語の読み方(参考)

現在、中国では、表音のための方法として(ピンイン)文字を使っている。「音」文字とは、「音(子音と母音)を綴り合わせる」文字、つまり「表音」文字ということである。 中華人民共和国になってから(1958年2月:「漢語音方案」)制定された。 当初の目的(表音化で文盲一掃等?)とは、現在では異なり、小学校の1年の上学期の一時期、漢字を習得する前の補助として使っている。また、特殊な音の「ふりがな」 として使っている。(例えば、「沈」字:これは辞書では「chén(chen2)」。または「shěn(shen3)」。しかし、古語では「tán(tan2)」(普通の辞書にはない)。 特に「tán(tan2)」等辞書にない音を表すために、「沈(tan2)」という風に、注記する記号として使われている。)「音文字」が生まれる前には、次のような多くの表記法があった。

歴史的に見れば、まず「半切」が挙げられる。これは中国の伝統的な読音表示法で、漢字1文字の読み方を 子音と母音(厳密に云うと「声母」と「韻母」。この「韻母」は入声韻の語尾の子音も含む。)に分析し、 子音を共有する漢字と、母音を共有する漢字の2字を以て、「□□反」(または「□□切」)と書き表す。前半の□が、子音を共有する漢字で、後半の□が母音を共有する漢字で表す。例えば「割」字音は、「古達切」と表す。日本語音読みを利用して説明すれば、「古」でoの子音のk音を、「達」で tatuの後半の韻母のatu音を表し、合わせてk+atu=「katu」となる表記法である。(この半切での表記は、時代・地域によって微妙にずれる。それが又、古代の音韻への情熱をかき立てる。前記の「割」字音を現代漢語で読むとgeであるが、「古達切」で見ていくと、「古」はuの子音のg音、「達」は dの韻母のa音を表すわけで、合わせてg+a=「ga」となる。ge音とずれが出てきている。 尤も、これは現代語からだけ見るべきものではなく、各時代の韻書等の文献や現代の中国語方言、また外国に伝えられた音(日本語音の呉音、漢音もその一)、逆に外国の事物に充てられた漢字借用音等から見ていくべきものであろう。 (「古今字音対照手冊」:丁声樹:中華書局)等)

また、英語で中国語を表記する際の「ウェード式」が、19世紀後半のイギリス公使トーマス ウェード(Thomas F. Wade:19世紀後半:中国は清代)に因って創始された。これは、英語圏や台湾等で、今も時々必要な場合がある。

中国の表音文字としては、漢字の部首のような独特の記号で、音を表す「注音字母」(中華民国2年:1913年)があり、「 音文字」が制定されるまで広く使われ、 今なお台湾・香港などで、よく見られる。

また、これに続いて「国語羅馬字」(国語ローマ字:中華民国17年制定公布)があった。 しかし、これは声調を綴りに取り込んだ煩雑なもので、ほとんど使われなかったという。

「拉丁化新文字」(ラテン化新文字:1931年公表)これは、文盲を無くすための運動のため生まれたという。 声調符号なしで現在の「 音文字」の祖形のようなものという。

中華人民共和国になって「漢語 音方案」(公表:1956年2月  公布:58年2月)が制定された。このホームページで使っている表記法でもある。


⑤ 塞翁が馬 - 古代漢語と現代中国語を比較する

(2012年12月23日、参考)

図書館で見つけた「現代中国語で読む古典」、古代漢語(高校で習う「漢文」)と現代中国語を比較していて興味深い。

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ひとつ気が付くのは、漢文の方が圧倒的に短いこと。現代中国語はまるで日本語のように機能語が増えてしまったんだなあ。(例:馬無故亡而入胡=他家的马不知什么缘故跑到胡地去了)もっとも漢文は書面語であり韻文だと思うので、そのまま古代に話していた言葉ではないかもしれないけど(たぶん言文不一致)。

この本では読み下し文がついてなかったけど、たとえばここのページにある。「馬故(ゆえ)無くして亡(に)げて胡に入(い)る。」くー、かっこいい。こういう翻訳の方法を考え付いた、日本の先人はえらいね。


⑥ 中国人は「漢文」を読めるか(1)〔参照サイト追加2011/01/19、参考〕、、、「漢文」は「音」を無視しただけでは無く、には文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない表記」ということまでは指摘しきれていない。

知人から概略、以下のような質問を受けた。

質問1.現代中国人は、いわゆる日本人が高校で習うような「漢文」を、中国語として無理なく読めるのか。

質問2.高校漢文などで習う「漢文訓読法」は、外国語の古典として「漢文」を読む際には意味があるのか。

これについて、「漢文訓読法」にも、外国語としての「中国語」にも素人の私が答えるのは赤面の至りだが、その周辺のことで見聞したことがないこと もないので、少し書いてみることにする。明らかな間違いや誤解もあるかと思うので、気が付かれたら、コメント戴ければ幸いである。

■いかな生粋の中国人でも、古典語としての中国語を学習、訓練していなければ、いわゆる「漢文」、つまり古典文語としての中国語は理解できない

これは、日本列島で生を受け、現代日本語の会話、読み書きが不自由なくできても、たんなるその事実のみでは、平安文学が理解できないのと同じです。

おそらく、現代ギリシア人でも、古典語としてのギリシア語を学習しないかぎり、原文では、プラトンもソフォクレスも理解できないではないでしょうか。だから、現代ギリシア人が気軽によめるのは、現代ギリシア語訳だと思います。

結局、古典とは、古代人が古代語で書いたものなのだから、それなりの知的準備が必要だということです。

■現代の中国人は、現代中国音で、古典中国語を読む

これは、現代の教養ある日本人が、たとえば、谷崎潤一郎あたりが、書斎で万葉集を読むとき、古代日本語の音韻に注意しながら読んだりしない、のと同じです。奈良時代の日本語には母音が8つあったと言われています。

■中国語の世界とは実は、多言語の世界なので、例えば、広東語を日常語とする中国人は、広東語発音で古典中国語を読み、北京語ないし、普通話を日常語とする中国人は、それで古典語を読む

中国語には、現代でも、八大方言といって、有名どころでは、北京語(いわゆる北京官話、のちの、普通話のベースになったもの)、上海語、客家語、 広東語、福建語、のような、方言があります。それぞれに native がいて、それぞれの native がそのまま話したら、お互いに通じません。

解放前の中国ではありますが、魯迅(浙江省紹興の出身)が地方で(どこでだったか失念)講演する機会には、彼のなまりがひどくて、通訳がついたようです。ちなみに、魯迅は、彼の身の回りの世話もしていたその通訳の女性と結婚しています。

香港映画を北京の映画館で見ると、中国語の字幕が付きます。北京人は広東語が分からないからです。

この言語状況は、古代ならより甚だしいはずです。そこで、秦の始皇帝は、中華世界の統一のために、話される音の世界を統一しようとはせず(古代の テクノロジーでは無理ですから)、テクノロジーとしての書記法で統一をはかりました。それが小篆です。これによって初めて、中央権力が中国各地へ公的命令を文書として発給することが可能となったわけです。

つまり、中国という、古代から非常に広大な、かつ多人口、多言語を包摂する混沌とした世界=宇宙に、一つの人工的秩序をあたえるものが、漢字だったわけです。それは、「音の断念」ゆえに得られたパワーでした。無論、中国語の言語としての特質も関係しますが、素人としてそこまで言及する知識がありませんので、歴史社会学的な側面のみの話です。

漢字のこのような性格のため、ある種、容易に、全く言語構造を異にするにも関わらず、古代の朝鮮、日本、ベトナムにも、書記法というハイテクノロジーとして、まず支配層に浸透したわけです。

だから、漢字そのものが、高度に、政治的、知的もので、そもそもが庶民には手の届かない、貴族的なしろものだったと考えたほうがよいでしょう。

■いわゆる「読書人」 intellectuals or the educated classes でなければ、いかな中国人でも、古典文語としての中国文=漢文は読めない

1)の反面です。この事実は、古代中国から、現代中国まで同じです。なぜ、中国人が、知識人を「読書人」と言い習わしてきたかといえば、古典中国語で表記された文を読めるかどうかが、その知的断層を飛び越えられるかどうかの基準だからです。

現代中国にまで存する懸絶した二つの世界、つまり、中国人エリートたちの持つ知的貴族性は、日本には(幸いなるか不幸なるか分かりません)、かな 文字の発明により存在しません。あるいは、その断層は曖昧となりました。これが、中国人の社会と日本人の社会の質の違いを生み出してる一つの要因になって います。

■日本の漢文訓読法は、過去の遺物か

これについては、中国語を含めた外国語に弱い私などより下記のサイトを読んでみてください。

日本で発達した漢文訓読法は、日本語話者にとって、歴史的に高度に洗練された技法であり、知的遺産です。これを現代中国語音読法と代替的に考えるのは愚かなことです。

今は、全くダメですが、高校時代の一時期、漢文に熱中した瞬間があり、このときは、詩文なら初見でも結構、白文で読めた記憶があります。これも一種の語学なので、続けてないため衰え無くなってしまいました。


⑦ 現代中国語の成立小史(参考)

「中国語」とは何か? 「普通話」は、「北京語音を標準音、北方語を基礎語彙として典型的な白話文(口語文)を語法の規範とする」と定義されている。 

普通話は、 中国近代化のために共通語を創出するという文化運動から生まれた言語で、 それ自体は政治的に全国に推広された一種の人工共通語である。 

中国の現代書面語(白話文)も最近の100年程度の中国近代化の中で急速に形成された新しいものである。

 清末の中国では文言は公文書・書籍・新聞で使用されている「生きた」文章語であり、「書く」能力も必要とされた。 もちろん文言は、日常の口語とは、語彙・文法が相当異なる純粋な文章語なので、読み書きに特別の教育が必要であった。

中国の近代化のためには国民の識字率を上げる必要があると考えた革新的な論者は、 清末の変法維新運動の中で「文言文の廃止、白話文(口語体)の採用」を主張した。 


⑧ 漢文は秦の始皇帝が作った東アジアのエスペラント語であった