旧山陽百貨店、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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山陽百貨店(昭和十年代)

昭和七年に開店。西細江町にあり、最初の本格的な百貨店であったが、戦争が進み統制が強化され、同十九年に閉店。戦後労働会館として利用されていた。(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


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戦前にあった百貨店です。下関駅がこの地から新しい下関駅に移転した頃から現在の下関駅に人出が移動し、空襲の被害の為に、百貨店としては機能が止まった。


旧山陽百貨店(戦後の旧労働会館)


昭和7年、旧下関駅前に鉄筋コンクリート造り6階建てで完成した。県内では初となるエレベーターが取り付けられていた。


しかし、数年で戦争の影響を受け生活にかかわる日常品まで統制が強化されると、取扱商品が品薄状態となり同19年に閉店している。


その後、31年に労働会館として使用された。(細江町 · 昭和50年代·提供=谷山昇氏)


(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)