ガソリンが無くてもエンジンは回る!昔の知恵は素晴らしい。 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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母親が子供の頃に木炭自動車と言うものがあり、上り坂になると降りて手で押した話を聞いたことがある。

その他、戦時中、ガソリン不足に困った戦闘機のために松根油(松のみきにVの字を刻んで、樹液を採る)を集めた話があり、今は枯れて無くなった松の幹にはVの字の傷口があったのを覚えている。


参考

① <あのころ>木炭バスが勢ぞろい ガソリン不足で代燃車

共同通信(2017.5.7、参考)

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1951(昭和26)年5月7日、東京・皇居前広場に集まる観光バスは「木炭バス」や「まきバス」だった。ガソリンは戦時中から不足がちとなり、代わりに木炭などを燃やして走る「代燃車」がのろのろと走っていた。手前は観光客目当てに果物などを売る物売りの自転車。


② 皇居に入る木炭バス(1941年、wikiより)

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③ 岩国市の観光用の木炭自動車(参考)

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④ 木炭自動車の燃料ガス発生の原理(参考)

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⑤ 松根油(参考)

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