爆発炎上した飛行船ヒンデンブルク号の事故現場 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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Hangar No. 1, ユナイテッド・コミュニティーズ Landsdowne Rd, Lakehurst, NJ 08733 アメリカ合衆国

レイクハーストに最初に建設された大型施設は、写真の第1格納庫だった。巨大な飛行船を納めるために1921年に作られたこの格納庫は、非常に大きな建造物だ。第1格納庫のサイズは高さ200フィート(約61m)×幅350フィート(約107m)×長さ961フィート(約293m)である。両端には、線路の上に設置された巨大な鋼鉄製のドアが2組ずつあった(参考)。

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Hangar No. 1

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レークハースト海軍飛行場

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米ニュージャージー州のレークハースト


参考

① ご存知ですか? 5月6日はヒンデンブルク号が爆発した日です

文春オンライン(2017.5.6、参考)

いまから80年前のきょう、1937年5月6日、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号が大西洋定期航路の終点である米ニュージャージー州のレークハースト海軍飛行場に着陸する際、大爆発を起こし炎上、36名の死者を出した。

ドイツのツェッペリン飛行船会社が製造したヒンデンブルク号は、全長245メートル、総浮力23トン、90人以上を乗せられる巨大飛行船である。その前年に大西洋定期航路に就航し、その21回目の飛行時に事故が起こった。その原因は、浮揚のため、ヘリウムガスより引火しやすい水素ガスを使っていたためであった。大量・長距離輸送で期待され、航路を広げていた飛行船だが、この事故により信頼を失い、公共輸送機関としての役目を終えることになる。

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©共同通信社

余談ながら、イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンのデビューアルバム『レッド・ツェッペリンⅠ』(1969年)のジャケットには、ヒンデンブルク号爆発事故の記録写真を点描したものが使われている。(近藤 正高)


② ヒンデンブルク号(参考)

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