FB友達・亀田真砂子氏談(2017.2.23):
陸奥宗光夫人の陸奥亮子。置かれた場所で、見事な変身を遂げる 。新橋の芸者から、陸奥宗光夫人になり、ワシントン駐在時に社交界の花となる。夫から、本を読むように、新聞を読むようにと言われ、『日本外史』まで読めるようになった。英語を猛勉強して、遂には日本の小説の英訳までして「日本の小説は面白い」と評判までとる。異国の地でのそんな彼女自身の努力もだが、日本が醸成してきた素晴らしい日本文化がそのベースにある、という話に心動かされた。外交官夫人として、公使館のインテリアに日本美術をコーディネートしたりして、日本の素晴らしさをさりげなくアピール。明治20年頃に、日本女性が洋行するだけでも大変なのに、アメリカでもbrilliant woman!と評された。この写真が、この度番組のアメリカ取材で新発見されたそう。
陸奥宗光・亮子夫妻と先妻の長男の廣吉
参考
出身 東京都
生年月日 1856年11月
没年月日 1900年8月15日
年齢 満43歳没
政治家・睦奥宗光の妻。日本赤十字社正社員。社交界では、そのきわだった美貌から「鹿鳴館の華」と呼ばれていた。 新橋柏屋で芸妓をしていたところ睦奥宗光と出会った。明治11年、陸奥が政府転覆運動に荷担した疑いで収監。明治15年まで収監されていたが、獄中の宗光を支えながら、亮子は先妻の子を育てた。 明治21年には駐米公使となった宗光とともに渡米。美貌だけではなく話術も巧みである亮子は、「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」と称され、海外でも高い評判を得ることになる(参考)。