陸奥宗光夫人、亮子 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

{97BD859A-25A4-4CBA-ABF4-5EC0400F6B4E}
NHK BSプレミアム『英雄たちの選択』(2016/4/14放送分)の取材時にアメリカで発見された写真

FB友達・亀田真砂子氏談(2017.2.23):

陸奥宗光夫人の陸奥亮子。置かれた場所で、見事な変身を遂げる 。新橋の芸者から、陸奥宗光夫人になり、ワシントン駐在時に社交界の花となる。夫から、本を読むように、新聞を読むようにと言われ、『日本外史』まで読めるようになった。英語を猛勉強して、遂には日本の小説の英訳までして「日本の小説は面白い」と評判までとる。異国の地でのそんな彼女自身の努力もだが、日本が醸成してきた素晴らしい日本文化がそのベースにある、という話に心動かされた。外交官夫人として、公使館のインテリアに日本美術をコーディネートしたりして、日本の素晴らしさをさりげなくアピール。明治20年頃に、日本女性が洋行するだけでも大変なのに、アメリカでもbrilliant woman!と評された。この写真が、この度番組のアメリカ取材で新発見されたそう。

{A51529EA-0137-4372-9C32-1F12D87891D9}

{A2DBD2CC-53FB-4CD2-BEA8-0D8E95B39C86}

{B1DFAA23-EBBF-4665-818E-55B4518D3AFC}

{66D0F399-4AEE-4217-9969-FF313780E5B0}
陸奥宗光・亮子夫妻と先妻の長男の廣吉


参考

出身            東京都
生年月日     1856年11月
没年月日     1900年8月15日
年齢            満43歳没

政治家・睦奥宗光の妻。日本赤十字社正社員。社交界では、そのきわだった美貌から「鹿鳴館の華」と呼ばれていた。 新橋柏屋で芸妓をしていたところ睦奥宗光と出会った。明治11年、陸奥が政府転覆運動に荷担した疑いで収監。明治15年まで収監されていたが、獄中の宗光を支えながら、亮子は先妻の子を育てた。 明治21年には駐米公使となった宗光とともに渡米。美貌だけではなく話術も巧みである亮子は、「ワシントン社交界の華」「駐米日本公使館の華」と称され、海外でも高い評判を得ることになる(参考)