西成のあいりん地区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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西成のあいりん地区は日雇い労働者と彼らの住むドヤ街のイメージがある。著者が20数年程前、通り過ぎた時には日雇い労働者がたむろしていた。

しかし、現在、イメージは違っているようだ。

例えば、日雇い労働者達が職を求めて集まる所、あいりん労働福祉センターの真向かいのホテルサンプラザは、ドヤと言うより、こぎれいなビジネスホテルであった。

また、高齢化した労働者が生活保護を受けながら暮らせる福祉マンションなども整備されている。

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あいりん労働福祉センター、大阪府大阪市西成区萩之茶屋1丁目3−44

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あいりん労働福祉センター1F

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ホテルサンプラザ、大阪府大阪市西成区萩之茶屋1丁目2−22

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ホテルサンプラザ、あいりん労働福祉センターの北隣

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和室

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洋室

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キッチン

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洗濯場

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風呂

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福祉ハウスニュー銀座、あいりん労働福祉センターの南東隣にある福祉マンション

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福祉ハウスニュー銀座入口

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赤印: 福祉ハウスニュー銀座、大阪府大阪市西成区萩之茶屋1丁目6−9


参考

① あいりん労働福祉センター

大阪市西成区萩ノ茶屋に立地する、あいりん地区の日雇い労働者の就労斡旋と福祉の向上を目的に設置された福祉施設。地上4階、地下1階からなる鉄筋コンクリート製の建築物。竣工は、1970年10月1日。

財団法人西成労働福祉センターが施設の管理・運営をしており、建物内には、あいりん労働公共職業安定所、テナントの売店、食堂、喫茶店などがある。場内の1階では、早朝午前5時ぐらいより日雇労働者が集まる。

大阪社会医療センター付属病院と一体となっており、病院も含めた建物全体が「あいりん総合センター」あるいは「西成あいりんセンター」と呼ばれる。

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中央: あいりん労働福祉センター、大阪府大阪市西成区萩之茶屋1丁目3−44


② かつては暴動…ドヤ街に世界から旅人が!あいりん地区に何が起きた?

内田光(withnews(ウィズニュース)、2017.1.7、参考)

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喫茶店の前で店主と立ち話をするフランス人の男性=大阪市西成区
出典:朝日新聞

大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ケ崎)が、外国人旅行客でにぎわっていると聞きました。あいりん地区と言えば、かつては大規模な暴動が起きたり、路上生活者が多かったりするイメージ。そんな街になぜ旅行者が?

店の軒先で異文化交流

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ネコのぬいぐるみを置いていった通りすがりの男性(右奥)=大阪市西成区
出典:朝日新聞

地下鉄御堂筋線の動物園前駅で電車を降りて、通天閣を背に南へ向かうと、そこがあいりん地区です。軒先にテーブルと椅子を並べた喫茶店の前で、さっそくフランス人の男性2人組を発見しました。店先で外国人がくつろいでいる様子は、バックパッカー向けの安宿街として世界的に有名なタイ・バンコクのカオサンロードを彷彿とさせます。

フランス語でやり取りする2人の間に、時折、通りすがりの男性や日雇いの仕事を終えた労働者が日本語で割って入ります。和やかな雰囲気ですが、なかなかユニークな異文化交流です。

かつては暴動が起きた街

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(左)暴徒の投石などで割れたパチンコ店の窓ガラス=1966年(右)投石用の石を持ち去られないように、南海電鉄の線路に張られた金網=1967年、いずれも大阪市西成区
出典:朝日新聞 

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暴動で、機動隊(右奥)に石や空き瓶を投げる群衆と燃える車=1990年、大阪市西成区
出典:朝日新聞 

あいりん地区には、大勢の日雇い労働者が仕事を求めて集まります。仕事のあっせんをする「寄せ場」があるからです。街には労働者が安い値段で宿泊できる宿が集まり、「ドヤ街」(ドヤは宿の逆さ言葉なんだとか)と呼ばれました。

最初に暴動が起きたのは1961年。8月2日の朝日新聞紙面は「二千余人が暴徒化 交通事故の処理に怒る」「派出所などに投石・放火」「催涙ガスで鎮圧」などの見出しで暴動を報じています。以降、2008年までに20数回もの暴動が起きています。

労働者の街から、福祉の街へ

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支援団体の要求に応じ、開放されたあいりん総合福祉センターの1階。冷え込んだクリスマス・イブの24日夜、センターのシャッターが開くと約650人の野宿生活者たちがなだれ込み、貸し出しの毛布にくるまって眠りについた=1998年、大阪市西成区
出典:朝日新聞 

あいりん地区に変化が訪れたのはバブル崩壊後。建設業界の不況で仕事のあっせんが減り、また労働者の高齢化も進みました。仕事が無く、ドヤを出て路上で生活する人も増えました。ドヤの数は1989年の210軒をピークに、2010年には102軒まで減少。高齢化した労働者が生活保護を受けながら暮らせる福祉マンションやアパートへの転業が進みました。

なぜ外国人に人気?

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1泊1700円、広さ3畳の部屋に3カ月滞在予定だというオランダ人の男性=大阪市西成区
出典:朝日新聞

外国人を受け入れる宿も、もともとは労働者向けのドヤでした。人気の秘密はずばり宿泊費の安さ。1泊1千~2千円程度と、破格の安さです。部屋を見せてもらうと、壁は真っ白で畳も張り替えてあり、快適です。

年間18万人以上の外国人があいりんに宿泊

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簡易宿所を改装した宿で、日本人スタッフとタコ焼きパーティーをする外国人旅行者。壁には寄せ書きがびっしり=大阪市西成区
出典:朝日新聞

宿ではタコ焼きパーティーも開かれていました。客の要望があれば書道教室なんかも不定期で開催しているそうです。参加者の多くは欧米人で、ワーキングホリデーで日本に長期滞在し、普段は英語やフランス語などのプライベートレッスンを日本人向けにしているそうです。2015年にあいりん地区にある18軒の宿のうち9軒で宿泊者数を集計したところ、18万4千人にのぼったとか! 

変わりゆく街

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スーパーで米と卵とシイタケを買ったフランス人の男性。食費を抑えるため、宿でオムレツをつくるという=大阪市西成区
出典:朝日新聞

人口構成が変わるあいりん地区。2017年には寄せ場・病院・住宅の機能を備えた労働者の中核施設「あいりん総合センター」の立て替えも始まる予定で、街の風景も大きく変わろうとしています。