昭和50年(1975年)代の日本食 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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昭和50年(1975年)は、東京オリンピック、大阪万博が終わったあと、高度成長が急加速していた時期で、下関に着目すれば、中国自動車道が全面開通し、そして新幹線が九州まで伸びた時期にあたる。著者が大学を卒業して、開通したばかりの山陽新幹線で東京を目指した。当時の公務員の初任給が7万円程度だったのが、一年足らずのうちに12万円程度になると言う急激な昇給を経験した。

親の世代の食生活は米飯に魚、味噌汁、漬物であったが、昭和50年頃までに、著者達子供に対しては牛乳とパンの食事や牛肉や豚肉の料理が加わり、栄養素を考慮する経済的余裕が出て来た時期であった。同時に、即席カレーライス、インスタントラーメンが家庭に完全に普及した時代であった。

著者が就職した会社は東京都国分寺市であるが、この地は、レストラン「すかいらーく」発祥の地であった。すなわち、外食産業が成長する時期にあたった。また、この時期にマクドナルドやセブンイレブンの出店攻勢が始まった。

著者個人の東京都国分寺市での食事は、社員食堂の定食の他、休日の外食は国分寺駅前の「だるま食堂」と言う定食屋のレバニラ炒め定食、鯨カツ定食、ニラ肉炒め定食、トンカツ定食などか、または「すかいらーく」のフォーク・ナイフを使うものであった。

退職した現在は、米飯、魚、味噌汁を主体とした食事に回帰している。


参考

① “40年前の食事”を4週間食べ続けたらどうなる?東北大学が実験(2016.10.19、参考)

日本は長寿国として世界でもトップを行く国ですが、その大きな要因として”食”が考えられます。世界無形遺産として認定され世界でも注目を集める「日本食」。その「日本食」に健康の秘密があるとして、東北大学の都築毅准教授らのグループが実験を行いました。

1975年頃の日本食を4週食べ続けたら


この様な1975年頃の日本の家庭で食べられていたメニューを4週食べ続けました。

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出典:tohoku.ac.jp

実験は4週間この様な、1975年当時の食事をしたグループと現代食を食べたグループとで、健康数値にどのような違いが現れるかで実験されました。

なぜ、1975年当時の食事が選択されたのか?
今回の実験以前に東北大学の都築毅准教授らのグループはどの時代の食事が健康に良いか?という事をマウスによる実験を行い、1975年当時の食事が健康有益性が高いことを明らかにしていました。

今回の実験の結果

▼まずは健康的に痩せた!

1975 年型日本食群において、BMI(体格指数)や体重が有意に減少し、LDL コレステロール(悪玉コレステロール)やヘモグロビン A1c(糖尿病の指標)、腹囲周囲長が減少傾向、HDL コレステロール(善玉コレステロール)が増加傾向を示しました。

出典:tohoku.ac.jp

▼ストレス軽減・運動能力の増加まで!

現代食群と比べて、1975 年型日本食群において、ストレスの有意な軽減、運動能力の有意な増加が見られました。

出典:tohoku.ac.jp

今回の実験レポートはこちら


40年前の日本食が健康には最強であるという結果が得られました。実験を行った都築准教授は「約40年前の日本食が健康にいいと広めることで、現代の食生活を見直す食育に役立つことが期待できる」と仰っています。

世界でも「日本食」がブームになっている現代、世界的に健康にも注目の集まる時代で、益々日本食の有益性が世界で注目を浴び、更なる広がりを見せそうですね!


出典:.tohoku.ac.jp / hazardlab.jp



② 1960年代から90年代の食事(ヤフー知恵袋より)。


1)1960年代

いわゆる高度成長が始まり、戦後のカロリー中心主義から、栄養のバランスというコトバが一般化し始めた時期。

インスタント食品の登場で、家庭に洋風のメニューが増え始めた時期でもあります。

インスタントラーメンの元祖、「日清チキンラーメン」は1958年に発売され、瞬く間に日本の国民色の地位を獲得しました。60年代に入ると、なべで煮るタイプの製品が多数発売され、味を競い合うようになりました。値段は1袋35円が相場で、実は10年以上値段が変わらなかったことは余り知られていません。

60年代末期、商品テストで有名な「暮しの手帖」誌が、このころ食中毒事故が懸念されていたインスタントラーメンの食べ比べと分析を行い「正しく製造・流通するインスタントラーメンは、普通に食べるのになんら問題はない。企業の努力はすばらしいというべきなのに、この値段は不当に安いのではないか」という記事を掲載し、センセーションを巻き起こしました。

冷凍食品は、64年の東京オリンピックの選手団への給食材料として大量に採用されたことから、まず冷凍保存設備のある大手ホテルなどの業務用として普及し始めます。

2)1970年代

1970年の大阪万博は、高度成長の総仕上げと位置づけられ、文字通り世界の国々からさまざまな物産とともに、食材や料理が紹介されました。
それまで「立ち食い」として嫌われてきたファーストフードが実地に紹介されたのも、実は万博会場のことでした。マクドナルドの1号店は、1971年7月、東京・銀座の三越百貨店に作られました。歩行者天国とマクドナルドは、東京の新名物となります。

しかし、オイルショック(第一次、73年)による世界同時不況は、日本経済を直撃し、食糧不足こそ生じなかったものの、トイレットペーパーや洗剤といった生活必需品の品不足は大きな社会問題となります。「省エネ」というコトバが作られ、ガソリンスタンドの日曜休業、テレビ放送の早期終了(24時まで)など、世間が一度に暗くなってしまいます。
この影響で、高級化・多様化が始まりかけていた食生活は一大頓挫をこうむります。

3)1980年代

80年代後半のバブル景気は、食生活にも多大な影響を与えます。

女性が居酒屋でチューハイを飲む、という姿はこのころ現れます。ワインブーム、とりわけ「世界一早いボージョレヌーボー」ブームはその象徴でもあります。
このほか、輸入チーズや「おとりよせ」が流行り始めるのもこの時期です。

飲食店はいわゆる”わざわざ店型展開”が流行し、ヌーベルキュイジーヌでは日本人シェフの仕事が海外で評価され、逆輸入されるというのも話題になったところです。家族での外食があらためて定着し、ファミレスが急激に展開したのもこの頃でした。

4)1990年代

80年代末期のブラックマンデーによる世界同時不況に端を発した長い不況期に突入します。しかしながら、バブル期に覚えた味が忘れられない世代が購買力を発揮する時期に入り、バブル二世市場(このころ小学校~中学校)が徐々に実力をつけ始めます。

バブル期のような爆発的なものではないものの、「良いものにはお金を払う」という考え方が定着し、また「こだわりの**」につられていかがわしい商品も混じる中、健康とおいしさをキーワードに、高価な食材・料理の通信販売(多分にインターネットの普及に影響されている)や、コンビニでの「こだわり弁当」ブームなど、少しずつ客単価の高い食品流通が広まります。

5) 特に1985年代(昭和60年代、60年から63年まで)の家庭での食事について

この時期は、家庭用冷蔵庫の大型化が進み、300Lクラスが全販売台数の過半、また2台目と見られるミニサイズ(40L以下)も売れるようになります。

家庭用冷凍食品は、インスタント的なReady-to-Eat(レンジでチンして食べる)から、有名店・高級店の製品の供給手段としてクローズアップされるようになってきます。

インスタント食品、とりわけラーメンの高級化と多様化は一巡し、少し落ち着いた時期ですが、こちらも有名ラーメン店の冠製品が出始めます。

食事の傾向は、家族そろっての団欒から個食化が一層進み、特に小学校低学年層の1人朝食が問題として取り上げられた時期でもあります。

出典等

経産省 「生産動態統計調査」
http://www.meti.go.jp/statistics/
(社)日本冷凍食品協会 「生産量統計」
http://www.reishokukyo.or.jp/index.html
(社)日本即席食品工業協会 「即席めん類等の生産数量の推移」
http://www.instantramen.or.jp/