彦島の三菱重工彦島造船所と巌流島あたりに着目して過去に遡って見る。
びっくりしたのは、巌流佐々木小次郎と宮本武蔵の決闘の舞台が大立ち回り出来る程広くは無かったことである。宮本武蔵の卑怯説に「武蔵の門人たちが影に潜んでおり、よろめいた佐々木小次郎をよってたかって叩き殺した」と言うのを読んだことがあるが、当時、隠れる場所は無かった。二人は正々堂々と決闘したのではなかろうか!
関門海峡の大瀬戸の中央にあった明石与次兵衛瀬などの撤去の土砂を始め関門海峡の浚渫工事の土砂を利用して、関門海峡周辺の埋め立てた工事を行っている(参考)。
昭和20年(1945年)終戦頃、三菱重工彦島造船所(参考)
巌流島と門司が見える。
大正9年(1920年)の三菱合資会社彦島造船所の第二、第三ドックと巌流島(参考)
第一ドックが完成、三菱合資会社彦島造船所として操業を開始(参考)、巌流島と門司が見える。