現在の下関市役所の出来る前 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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750-8521 山口県下関市南部町1番1号

下関市の現在の本庁舎は、昭和30年の建築で、築後57年を経過し、老朽化や狭あい化をはじめ様々な課題を抱えている(参考)。

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明治41年にできた元の市庁舎。左が警察署(参考)

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大正8年の市役所と警察署、城山(南部山城)の北山麓にあった。

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昭和20年の空襲の後の唐戸地区の航空写真(参考)、南部町郵便局、秋田商会、旧英国領事館、貝島炭礦本社(参考)は残っているが、城山周辺は焼失している。

唐戸周辺の再開発と区画整理(参考)は20年と24年の間には完了しているが、この時期に旧英国領事館の北側にあった貝島炭礦本社ビル(かつてはジャーディンマセソン商ビル)は焼け残った外壁を取り壊された。

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昭和24年(1949年)の唐戸から田中町、貴船町、山ノ口、東駅あたり

現在の市役所の敷地はまだ城山のままである。当時、市役所は貴船町の旧陸軍の跡地に所在した。この地は現在ハローワークなど公的機関がある。かつて済生会下関総合病院も貴船町にあったが、現在は蒲生野に移転した。

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昭和25年(1950年)、城山は山のまま!貴船町に市役所の記号が記されている。

昭和25年地図と下の昭和45年の地図の間に市役所が元の南部町の城山の頂上に移動したことが判る。

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昭和30年頃

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昭和45年(1970年)、城山が削られて市役所の敷地となっている。


参考

① 昭和24年の下関市観光地図(参考)

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② 現在地の下関市役所庁舎の起工式

市庁舎起工式

戦後もとの軍隊の兵舎を使っていた市役所もだんだん不便になり、昭和二八年一一月一七日新築工事を南部町に着工した。

設計は全国からの応募作品について審査を行なった結果、田中誠氏の作品に決まった。三〇年二月一〇日竣工式が行なわれた。鉄筋八階建の近代建築の粋を凝らした新市庁舎は下関市の躍進の象徴となった。

(写真集 明治大正昭和 下関より)(彦島のけしきより)


③ 長年なれ親しんだ市役所本庁舎が解体されている(2018.7.4、参考)


④ 最新の下関市役所庁舎(2020年)

東棟も完成