光明寺、浄土真宗本願寺派、山口県下関市細江一丁目
第二次世界大戦の空襲にも偶然避けられ、久坂玄瑞が率いる光明寺党の刀傷も残っている。この光明寺党が奇兵隊のルーツとされている。
① 光明寺党(参考)
長州藩、尊攘派の武装集団。
文久3年5月に結成。
統括者、久坂玄瑞。党員は諸藩浪人と長州藩有志等50~60名前後
文久3年5月に結成。
統括者、久坂玄瑞。党員は諸藩浪人と長州藩有志等50~60名前後
文久3年5月10日払暁の馬関攘夷戦に、撰鋒隊などの藩兵と共に参加、米商船を始め仏、蘭、商船を23日と26日の両日砲撃した。この報復は直ちに行われ、6月1日には米軍艦、続いて仏軍艦がやってきて停泊中の長州軍艦や諸砲台をさんざん破壊しつくしてさった。長州兵は、蜘蛛の子を散らすように逃走したが、久坂率いる光明寺党は専念寺と亀山の砲台を死守、最後まで戦った。(HP幕末英傑禄から引用)
② 天誅組の盟主、中山忠光卿が光明寺党の盟主でもあった(参考)
③ 夷狄打ち払いのための砲台(参考)