関門海峡の安全航海の歴史 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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関門海峡の安全航行のため、燈明台の建設、燈明の維持に苦労があった。神社の灯篭も海の灯台の役目があった。

また山の名前に天気予報の役割が伺えた。


参考


① 関門海峡の安全航行を見守った人達(参考)

『僧 清虚』 
大分県国見町の出身、天保7年(1838)行脚の途中、青浜にて何とか海難をなくし多くの人命を救おうと燈明台を作り13年の長い間、燈明の火を絶やさなかった。彼の死後は村人達に引き継がれ、明治5年1月、現在の灯台が完成するまで暗闇の海を照らし続けた。

『岩松助左衛門』 
小倉長浜の庄屋、文久元年 藩主より海上御用掛並び難破船支配役を命じられた。当時、海難事故の多くあった白洲に、燈明台の建設を建議した。当時の小倉藩の財政援助は期待できなかったので、私財を費やし又寄付を募り奔走した。明治新政府の灯台寮は、明治5年、彼の燈明台建設にかける情熱に「神妙奇特の至り」と強く感動し政府直営の事業とした。明治6年9月1日完成・点灯した。彼が燈明台建設の悲願を込めて以来11年の歳月が流れた。彼の顕彰碑は小倉城内にある。 


② 亀山神社、唐戸

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海に面した参道の灯篭は海の灯台

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亀山神社の灯篭の南

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江戸時代の亀山神社の参道


③ 日和山

細江町と伊崎町の山が共に日和山(ひよりやま)と呼ばれている。

wikiによると、日和山(ひよりやま)は、日本各地にある山の名前である。船乗りが船を出すか否かを決める際に日和を見る(天候を予測する)ために利用した山で、港町に多い。

③-1 細江町の日和山

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細江町の日和山から関門海峡

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高杉晋作

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つかずの灯篭


③-2 伊崎町の日和山

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伊崎町の日和山、桜山神社付近から撮影


④ 火の山も関門海峡の交通整理の為の灯台か(参考)!