豊田町のバス停、天皇様、平氏の落人の隠れ里か?! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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豊田町の豊田湖の北端にバス停、天皇様があり、ここに安徳天皇の西市陵墓参考地がある。

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この辺りも平氏の落人の隠れ里であろうか!真北の向津具半島に平氏ゆかりの二位の浜がある(参考)!


参考

① 下関市豊田町、西市陵墓参考地(参考)

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「安徳天皇御陵墓伝説地由来碑」よると、寿永四年三月二十四日、壇ノ浦の海戦あり 午刻平氏敗頽 安徳帝二位禅尼御抱きて入水 源氏方百万捜索せるも発見せられず 因って沿岸浦人を召して捜索中沢江浦人の網に御尊骸掛りたれども神剣なし 義経心あらずや網の侭御棺に移して潜幸紀民部大輔光季守護し奉り沿道を猿山庄司に命じ義経御奉送のため野陣を今の法ケ原に進出 豊浦大津の郡境にて御棺微に動かず 因って南方奇しき地形の小丘此処に埋葬し奉る 御棺の動かずなりし所を後人御篭建場と称す


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右: 安徳天皇陵、左: 民家

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バス停、天皇様