基肄城、基山 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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太宰府の南、佐賀県基山町の基肄城を見て欲しい。四王寺山の大野城と同じ設計思想が見て取れる(参考)。福岡県糸島市の雷山神籠石ともよく似ている(参考)。

山体全体の表層土の崩落を防ぐ、山体の尾根を巡る土塁があった。さらに山体に降った雨水を集めて南に流れ下る沢の下端に砂防ダムがあった。すなわち、この土砂崩れを防ぐ土塁を籠城の為の山城に兼ねたことが理解できる。

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(参考)

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基山町バザードマップ、基肄城周辺は土砂崩れの恐れがある


参考

四王寺山や基山があるあたりは花崗岩地質で、土砂崩れの恐れがある地域であった(参考)