大分県東国東郡姫島村(参考)
国東半島の沖合い周防灘に浮かぶ姫島は海人族安曇氏の根拠地であった。
祭神の比売語曽神について、『日本書紀』では、垂仁天皇の時代に、意富加羅国(おほからのくに。現在の韓国南部にあったと考えられている。)の王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、白石から生まれた童女(阿加流比売神)に求婚すると、美女は消え失せ、都怒我阿羅斯等が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となったと伝えている。このうち、姫島の比売語曽社が当社であり、摂津の比売語曽社は大阪府東成区の比売許曽神社であるとされる(ただし、後者については異説あり)。
また、比売語曽神については他に、新羅王の子天之日矛の妻、新羅王波沙寝錦の妃、大己貴命の女である下照姫命、辛国息長大姫大目命、真野の長者の娘の玉依姫(般若姫)などの諸説がある。また、宇佐神宮の祭神のうちの比売大神を比売語曽神とする説もある。
すなわち、彼等が祀る神は元々一神教の女神であり、魏志倭人伝にある卑弥呼であった。彼女の数々の事績や、各種伝承を一神に象徴したものであろう。比賣大神とも言われるが、記紀で言う所の天照大神、玉依姫と同一神である。
宇佐神宮あたりは海上交通の要衝の地であり、陸上の安心院が海人族安曇氏の陸上がりの入植地であり(参考)、姫島は海上交通の主要港であった。特に、国際的な交易物として当時、主要な位置を占めた黒曜石が産出したことが決定的である。
参考
① 姫島の氏神、比売語曽神社の由来(wikiより)
比売語曽社は姫島の名前の由来となった比売語曽神を祀る神社であり、旧村社・国史見在社。創建年代は不詳。毎年4月3日に春の大祭が開かれる。ひめこそは姫社とも表記し、姫を祀った神社という意味の古語である。
祭神の比売語曽神について、『日本書紀』では、垂仁天皇の時代に、意富加羅国(おほからのくに。現在の韓国南部にあったと考えられている。)の王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、白石から生まれた童女(阿加流比売神)に求婚すると、美女は消え失せ、都怒我阿羅斯等が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となったと伝えている。このうち、姫島の比売語曽社が当社であり、摂津の比売語曽社は大阪府東成区の比売許曽神社であるとされる(ただし、後者については異説あり)。
また、比売語曽神については他に、新羅王の子天之日矛の妻、新羅王波沙寝錦の妃、大己貴命の女である下照姫命、辛国息長大姫大目命、真野の長者の娘の玉依姫(般若姫)などの諸説がある。また、宇佐神宮の祭神のうちの比売大神を比売語曽神とする説もある。
② 国産み神話
姫島は古事記の「国産み」神話において、 イザナギとイザナミが産んだ島のひとつ女島(ひめじま)(別名;天一根(アメノヒトツネ))とされています。 イザナギとイザナミは最初の8つの島(大八洲)を産んだ後、続けて6島を産んだとされ、 この6島のうち4番目に産んだのが現在の姫島です(参考)。
この古事記の国産み神話は縄文時代から活躍していた海人族安曇氏の日本での国づくり伝承から生まれと考えられ、彼等が4番目に入植した島ということであろう。
③ 黒曜石(参考)
姫島の黒曜石産地は、地表に露出し観察が容易な黒曜石産地として、北海道の十勝(白 滝地方)や長野県霧ヶ峰周辺などと並び全国的に貴重です。露天の黒曜石は、観音崎一 帯に見られ、この黒曜石が波に洗われる様は壮観で、他では見られない景観となっています。また、全国の黒曜石が黒色であるのに対し、姫島産黒曜石は乳白色を呈し、極めて特徴的です。
黒曜石は火山の岩漿が地表上に噴出して急速に固まった火山岩の一種です。
石器時代には「矢じり」などに重用され、特に縄文時代に利用の急激な拡大がみられま す。姫島から海を渡って運ばれた黒曜石が、九州だけではなく四国や中国地方の遺跡からも出土しています。
⑧ 福岡県の姫島も同じく海人族安曇氏の島だった(参考)