蘇我氏は独自に行政権を持っていた地方自治体の区分、郡(こおり)について、日本書紀では改新の詔(646年)以降と書かれているが、実際には大宝律令発布(701年)以降であり、それまでは評(こおり)であった。九州王朝論では九州王朝が全国支配した証しと主張している。確かに日本書紀が嘘を言っていた。しかし、九州王朝は存在しないことは論証してあるので、蘇我氏が独自に実施したと考えられる。蘇我氏は海人族であるが、日本列島に広く領地を持っていたので矛盾しない(参考)。参考① 地方自治体の単位の評と郡② 太宰府は蘇我氏の未完成の都市(参考)