今の東京の繁栄の元は太田道灌のおかげ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

東京の墨田区の条坊制(条里制)の地割は美しいですね!下の写真を見てください。地震、空襲など多くの苦難を乗り越えて、美しい街並みを維持しています。

最初のスタートが大切である証拠です。末代まで伝わります。

{B59D6589-3F82-4B63-A8AD-6DE4A3ACDE31:01}

これは徳川さんが作ったものではありません!下の徳川家康さんの岡崎城やゆかりの城を見てください。乱雑な町割になっています。


{7EEBEC54-E17D-4FFE-8E1E-373B17B1D2C5:01}
岡崎城周辺

実は太田道灌が作ったものです。彼のおかげで、徳川家康が江戸を選んで首都にしたのです。しかし、後の江戸幕府の土地開発はメチャクチャで、今の東京になってしまいました。


参考

① 太田道灌の作った村の名前、千代田村、宝田村、祝田村の名残りがあります(参考)。それらの周辺の都市計画は条坊制(条里制)になっています。

{0B5168B6-F39B-41A8-98DB-57E25D3C2B29:01}
宝田は神社名として残り、日本橋の北にあります。

{27A8D5B5-44FB-4A2B-B259-E144E44EACDB:01}
祝田、千代田は皇居前のあたり、この辺は綺麗ですね!


② 太田道灌の出身地と云われる、埼玉県越生町の山吹の里あたりを拡大します。やはり綺麗な街並みでした。従来からの綺麗な条里制区画の田地が住宅として、東京あたりから新住民を引き付けている。

{923236DB-364C-4909-A7E9-D17FE3CBEDCA:01}
山吹の里は越生駅の東方向の山麓あたり。

{13ACA66B-C24C-4FD7-8530-42DFF4DD6A28:01}
山吹の里より越生町を望む(参考)

{19B69A82-C570-4713-853A-E3540FD57C23:01}


③ 街並みの美しさは、建設者の民族性に関わる。日本人のルーツである中国の地域(民族)に対応している(参考)。徳川家康ゆかりの武士は呉系弥生人(O2b)の系統で、太田道灌は斉系弥生人(D2)の系統かも知れない(参考)。


④ 朝鮮半島の旧百済国の最後の都は美しい条里制地割の水田と都市計画を持っていた(参考)