九州王朝説は正しかった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

トンデモ九州王朝説であるが、古代、即ち邪馬台国時代から15世紀あたりまで、中国、朝鮮の歴代王朝は日本は一つの島、即ち九州島であり、首都は南の方にあると思っており(参考)、日本書紀、古事記の中の歴史、その他、日本の地理、政治情報は九州の中のお話しと思っていたのが正しい理解かも知れない。

中国の歴代王朝の歴史書の倭国や日本国が九州にあるように解釈可能で曖昧なのは、編纂者の知識が曖昧で日本と九州を正確に区別出来なかったのであろう!その結果、① 白村江の戦いの敗戦後、捕虜の返還も九州(参考)、② 新羅の入寇、新羅南部の沿海の流民あるいは海賊と思われるものが、8世紀以来、かなり頻繁に対馬、さらに北九州を襲ったとされる(wikiより)。③ 刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3年(1019年)に、女真族(満州民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう(wikiより)。④ 元寇も北九州の海岸から山口県の響灘沿岸に来襲となり(参考)、本州への被害は少なく済んだ!

正に大和政権の思う壺であった!だから、いままで訂正要求をしていないのである。

あくまで仮定であるが九州王朝があったとして、中国大陸や朝鮮半島の大国に九州王朝のことを内情まで一言一句、正しく知られていたなら、侵略の憂き目にあっていただろう!国防機密の観点が従来の歴史研究に欠けている!

{700D7431-46CE-4DF4-9264-68315EC12C69:01}
微妙な漢字の書き損ないや曖昧な記述を逆手にとった九州王朝説はやはり存在しない。


参考