中国の弓月国にナラ、ヤマトがあった | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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那拉提(ナラティ)

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那拉提は左手の伊犂祥和弓月城から百数十キロ東にある。

{9F1CF296-1BE8-4E67-9BBF-CFD168FA1062:01}伊犁(イリ)草原の別名は那拉提(ナラティ)草原で、新疆ウイグル自治区の新源県東部に位置し、すなわち新源県那拉提鎮にある。「那拉提」はモンゴル語で「最も早く太陽が見えるところ」という意味である。(参考)

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雅馬図(ヤマト)

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雅馬図は左手の伊犂祥和弓月城から五十キロ程度、東にある。

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川のすぐ南に野馬渡と雅馬図(ヤマト)があった。野馬渡もヤマトと読めそうだが野馬を川渡しする意味であろう。ヤマトをヘブライ語で解釈すると神の民という事で、弓月国内にあっても不思議では無い。もし、これが正しいなら、ヤマト政権や邪馬台国は海人族安曇氏か早くに日本に到達した秦氏によって樹立されたことになる。これが神武東征神話になるのか?卑弥呼も秦氏か?


参考

参考1秦氏のユダヤ人説