観察院 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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臨済宗東福寺派 観察院、下関市大字冨任


創建は鎌倉時代後期。五輪塔の一つに永仁2年(1294)の刻名があるが、もと富任八幡宮裏山あるいは上イナリ(現在下関養護学校)から観察院に移設された。その南方に三太屋敷があったと云われているが、この居館は建長4年(1252)長門国守護代として鎌倉からきた三井資平のものと云われ、五輪塔は三井一族の墓碑とも伝えられる。

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