2003年の夏。
この日も池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」でお仕事でした。
すると、見覚えある人がご来店。
なんと、安藤満さんではありませんか。
最近の若い方だと、安藤満さんを知らない人もいるかもしれませんね。
それでは、少しお話しましょうか。
私が18歳の頃に遡ります。
当時、近代麻雀オリジナルで連載されていた、
「阿羅漢(あらはん)」 という漫画で、
「安藤満」 という存在を知りました。
その中でも、主人公が駆使する戦術 「亜空間殺法」 は衝撃でした。
「アガリに向かわない鳴き」
などという逆転の発想が、この戦術のブームを呼んだのです。
一時期、全国の麻雀店で、
「亜空間ポン」 「亜空間チー」
が流行したものです(笑)。
その頃から、マージャンプロの世界を雑誌や漫画で目にするようになりました。
その中でも、当時 「BIG4」と呼ばれていた、
安藤満・飯田正人・井出洋介・金子正輝(敬称略)。
私にとっては憧れでしたね~。
1990年あたりでしょうか。
その安藤さんが癌を発症しました。
その後は、癌とも戦わなくてはならなくなったのです。
ぶんクルの話に戻りましょう。
仕事が終わった後、店長の山井さんに誘われ、
安藤さんとの酒の席にお供する事になりました。
他にも、プロ連盟の若手選手が何人かいたような。
安藤さんは、武勇伝、交遊録、プロのあり方など、
とにかくいろんな話を愉快にしてくれました。
あと、「むこうぶち」 の原稿用紙(原作用)も見せていただきました。
「おぉ、これはあのシーンか!」
と、興奮しましたね~。
楽しい時間は早く過ぎるもので、終電などとっくに過ぎました。
2時か3時くらいだったでしょうか。
安藤さんが携帯を取り出し、
「今から来いよ~。来なかったら、お前との縁はこれまでだからな」
と、ある人を呼び出しました。
すると、眠い目をこすりながらやってきたのが、
安藤さんの弟子でもあった、藤原隆弘さん。
前の記事でも書きましたが、藤原さんはホントいい人なんです。
先日の麻将連合のパーティーにも来ていただき、
気さくに挨拶してくれました。
そうこうしているうちに、気がつけば、始発の時間。
お開き寸前になった頃です。
さっきまで無邪気に振舞っていた安藤さんが、
まじめな表情でこんな宣言をしてくれたのです。
「来年はリーグ戦に復帰するつもりだよ。
少し下のリーグに参加して、
若い子たちに対局を通じて麻雀を教えてあげたいんだ」
こうして、私にとっては最初で最後の、
安藤さんとの酒の宴が終わったのでした。
今回の話は、ひとまずここまで。
ここから先は、エピローグです。
別れ間際に、
「来年は下のリーグで麻雀を教える」
という宣言をした安藤さんでしたが、
それは結局叶いませんでした。
最後に安藤さんの顔を拝見したのは、2004年の春。
瑞江にある葬儀場でした。
棺の中に仰向けになっていた安藤さんは、
闘病を終えた後には思えないくらい、
とてもきれいでおだやかな顔をしていました。
会場を見渡すと、何百人もの人がお通夜に訪れていました。
不謹慎な表現をお許し願いたいですが、
その人の幸せというのは、
「死んだ時に、どれだけ多くの人が心の底から悲しんでくれるか」
ではないかと思うのです。
あらゆる関係者やファンに惜しまれながら見送られていった安藤さんは、
幸せな人生だったのかな、と感じました。
最後の宣言は叶う事はありませんでしたが、
団体問わず、数多くの選手に、
安藤さんの魂が受け継がれています。
ささやかながら、私にも。
ではまた。