1997年の春。
「トーナメントツアー選手・B」として、
麻雀連合(当時)に所属する事になった私は、
発足してから初めてのミーティングに参加しました。
とにかく驚きと戸惑いの連続でした。
試験の結果、団体としてプロに認定されたのが1人だけだという事。
それ以外の20人くらいが、「トーナメントツアーA選手」。
6人くらいが、「トーナメントツアーB選手」の肩書きになった事。
プロを目指す人達を教育する「育成会」を開催する事。
選手限定のリーグ戦は行わず、
「μカップ」という、オールカマーの大会を、
日本全国各地で、年間数回開催するという事。
ゲームソフトの会社がスポンサーになって、
優勝賞金300万円の大会を開催するという事。
選手だけでなく、法人会員や個人会員の会費を募って、運営していくという事。
とにかく、既存の団体とは違う、新しい麻雀プロの世界、
新しい麻雀プロ像を作り上げていく、というのが伝わってきました。
いや、他人事じゃないんですよね。
私もその一員になったわけですから。
それにしても、他のツアー選手の顔触れを見ると、
本当に私ごときがここにいていいのか、という気持ちにさせられましたね~。
だって、つい最近まで、他団体のAリーグの選手だったり、
GⅠタイトルを獲得した選手だったりした人が、
ペーペーの私と同じ肩書きになってしまったわけですからね。
ちなみに、他団体の所属経験がなく、ツアー選手になったのが、
私と須藤浩さんの2人だけでした。
須藤さんも不安だったようで、
「しもでさん、今度一緒に育成会行きましょうよ」
と声をかけてくれました。
私にとっても、願ったり叶ったり。
もちろん快諾しましたとも。
当時の育成会については、後日書こうかと思います。
ミーティングを終えた後の気持ちは、
希望や期待が20%、戸惑いや不安が80%、
といった感じでしたね~。
とはいうものの、もう後戻りはできません。
どう頑張ればいいのかわからないけど、
とにかく頑張るしかないのです。
その当時は、そう思ったものです。
若かったなぁ~。
今回の話は、ひとまずここまで。
プロテストの試験問題の作成者だったのが、井出洋介プロでした。
「このくらいの問題なら、プロなら満点に近いくらいは出来てほしい」
と思っていたようなのですが、
全体的に筆記試験の成績が振るわなかったようで。
ちなみに、早解き問題の満点は、私以外にもう1人だけいました。
「牌効率」という言葉の生みの親、忍田幸夫プロです。
忍田プロは、筆記が優秀だったのに加え、
競技麻雀の実績も、最高位戦でAリーグ、
101(いちまるいち)でA級。
文句なしのプロ認定というわけです。
「この程度の知識で、プロを名乗らせるわけにはいかない」
「かといって、合格者1人で残りは不合格では、団体が成り立たない」
という、葛藤によって生まれたのが、「ツアー選手」制度だったのです。
ツアー選手に関しては、試験と過去の実績を考慮して、
ツアーAとツアーBに分けられました。
私は試験がいくらか良かったものの、実績がゼロなので、
当然のツアーBとなったわけです。
ただ1人の認定プロとなった、忍田プロ。
実績がほとんどなかったにもかかわらず、
実績のあるベテラン選手と同じ、ツアーAになった若手選手。
彼らにかかったプレッシャーは、
私なんかとは比べ物にならないくらいの重圧だったでしょうね。
思えば、その重圧に打ち勝って、乗り越えた人達が、
現在の麻将連合を担っているんですよね。
後書きの方が長くなりましたね(笑)。
ではまた~。