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また大町の羽黒神社を筆頭に、常陸国と下野国にまたがる水谷領内に多くの羽黒神社が建立され、吉数である7を用いて七羽黒と呼ばれています。一説には、結城七社を模した(『茨城県神社誌』口戸羽黒神社の項「出羽羽黒山の御分霊を迎へ結城七社を模して鎮斎した」)とも言われています。
本日ご紹介するのは、その七羽黒のひとつとされる竹島神社。竹島羽神社は、市立竹島小学校(写真左)と竹島地区公民館(写真右)に挟まれた場所にあります↓
この狛犬は、昭和3年の御大典記念(昭和天皇即位礼の記念)に奉納されたものようです↓
そして拝殿↓
この竹島神社境内には、もうひとつ鳥居があり、その先には戦没者慰霊のための忠魂碑が建てられています↓
その他にも、大正・昭和期の石碑が複数建っていました↓
なお、ここまでお読みのみなさんはお気づきかと思いますが、この神社、名称が「羽黒神社」ではなく「竹島神社」です。なぜ名称が「羽黒神社」ではないのに、七羽黒のひとつとされているのか。
茨城県神社庁発行の『茨城県神社誌』(昭和48年)には、こうあります↓
竹島神社 法人(旧村社)
【鎮座地】下館市(注:現在の筑西市)稲野辺二八ノ一・三〇ノ一・三〇ノ五(旧真壁郡竹島村)
【祭神】宇迦御魂命
(配祀)天御中主命、大日孁貴命、天穂日命、市杵島比売命、大巳貴命、火空突知命、倉稲魂命、品陀和気命、経津主命、武甕槌命
【祭祀】例祭 十一月二十五日
【由緒沿革】創立年月不詳。初め稲荷神社と尊称。享保八年二十七日正一位を奉授せらる。徳川将府の崇敬篤く社領三石の朱章を受く。明治六年村社に列格、同四十四年二月三日村内無格社星宮神社、同神明宮、同御霊神社、同厳島神社、同羽黒神社、同八幡神社、同鹿島神社、同稲荷神社を合併し、同四十五年二月二十七日竹島神社と改称する。昭和二十七年十月二十四日宗教法人認証。
【施設】本殿(辰巳向)流造銅板葺方一間一坪。幣殿 三坪。拝殿 銅板葺間口五間奥行三間一五坪。鳥居二基(みかげ石造)社号標
【境内】二五〇坪
【氏子】四〇〇戸 崇敬者一〇〇〇人
【宮司】朝倉有永 責任者役員三人 総代二〇人
これによると、明治44年に竹島村内にあった羽黒神社を含む無格社は、村社である稲荷神社と合併し、更に翌45年に竹島神社と改称したそうです。つまり、明治44年までは羽黒神社が存在していて、今もここ竹島神社(旧稲荷神社)には、合併された羽黒神社の神様がいらっしゃるということ。そこで現在でも、七羽黒のひとつに数えられているのです。
ちなみに、合併前の羽黒神社が何処にあったのかは、『茨城県神社誌』からではよくわかりません。
というわけで、七羽黒のひとつ、竹島神社のご紹介でした。