こんにちは、みなさんお元気ですか?
茨城県筑西市とは全く無関係ですが、イギリスの旅5 ロンドン・アイ、大英博物館編の続きです。

イギリス観光2日目は、事前に日本で予約しておいたリバプール・ビートルズ・ツアーに参加しました。
ロンドンからリバプールまでは長距離列車の直行便で移動、ロンドン・ユーストン駅からヴァージン・トレインズに乗って出発です↓

イメージ 1

海外で地下鉄以外の電車に乗るのは、これが初めてかも。
持参したイギリスの旅行本などを読むうちに、あっという間にリバプール・ライム・ストリート駅に到着しました↓

イメージ 2

大きな駅ですね。

ちなみにリバプールはイングランド北西部マージーサイド州の中心都市で、人口は44万人。
マージー川の河口に位置し、13世紀以来貿易港として発展しました。
サッカーのリバプールFCの本拠地としても有名で、2004年にはユネスコにより「海商都市リバプール」として世界文化遺産にも登録されています。

駅構内で無事ガイドさんと合流したわたくし臣(しん)とその一行、ガイドさんの車でビートルズの足跡を辿りました!
とにかく多くの場所をまわったので、全てを記事にすることはできませんが…
いくつか主なスポットをご紹介します。

まずはこちら、マシューストリート↓

イメージ 3

ここは、デビュー前後のビートルズが300回近くもライブパフォーマンスを行なった伝説のクラブ「キャバーン・クラブ」があった通り。
通りには、当時ビートルズが通ったパブが今も残っていて、観光客用に作られたビートルズ・ショップやビートルズ・パブ、エリナー・リグビーの像(ビートルズの曲のタイトルになった架空の女性)などもありました。

肝心のキャバーン・クラブは一度閉店したのですが…
1984年、当時を再現した新たな店舗が隣接地に作られ、再オープンしています↓

イメージ 4

キャバーンとは「ほら穴」という意味。
地下への階段を降りたところにあるステージは、まさに「ほら穴」といったたたずまいでした!

続いてはこちら↓

イメージ 5

ビートルマニアの聖地、ストロベリー・フィールド!
ジョンの名曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の元となった場所です!
ジョンが育った家のすぐ近くにあり、当時は孤児院でした。
現在は建物が壊され空き地となっているのですが…
それがかえって幻想的で、訪れる者の想像を膨らませます。
生きているうちに一度は訪れたいと思っていた場所に立ち、ちょっと泣きそうになりました。

お次はここ、ペニー・レーン↓

イメージ 6

ペニー・レーンというのは、800メートルほどのごく普通の通りの名前なのですが…
幼い時の思い出を歌ったポールの曲「ペニー・レーン」により、世界中に知られることになりました。
同曲の中には、床屋さんや消防士、銀行員、ラウンドアバウト(イギリス特有のロータリー道路)など、ポールが少年時代に見た通りの風景が登場します。
上の写真はそのラウンドアバウトと床屋さん、記念写真を撮る観光客です。

続いて、セント・ピータース寺院↓

イメージ 7

1957年7月6日、この教会で開催されたガーデン・パーティーで、ジョンとポールが初めて出会いました!
写真左の手前に写っているのは、後年発見されたエリナー・リグビーの名が刻まれた墓標です。
架空の人物の墓が発見されるとは、不思議ですね。

そして最後に、ビートルズのメンバー4人の住んでいた家です↓

イメージ 8

写真左上:ジョンが育った家。この家でジョンは、叔母であるミミおばさん夫婦に育てられました。
右上:フォースリンロードのポールの家。ポールが学生時代からビートルズで成功するまで住んだ家です。
左下:リンゴ・スターが生まれた家。
右下:ジョージ・ハリスンが生まれた家。

なお写真のうちジョンとポールの家は、ナショナル・トラスト(歴史的建築物の保護を目的として設立された団体)により保存管理されています。


今回のリバプール・ビートルズ・ツアーは、ロンドン・ツアーに続き、英国リヴァプールに関する総合サイト「スカウス・ハウス」を通じて申し込んだものです。
長年の夢だったリバプール訪問…
現地を知りつくしたガイドさんの素晴らしいコーディネートもあり、充実したツアーに大満足でした。


というわけで、イギリスの旅7 リバプール巡礼・後編に続きます。