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鉛筆画で世界をつなげよう!!

ブルース・リーと中森明菜を中心に人物を白黒の鉛筆で描いてます、
ときどき犬や猫なども描きます。

中国生まれなので中国語話せます(両親は日本人)。
現在は神奈川県海老名市在住。
鉛筆画以外はマラソンもやってます、コロナあけたら大会に参加したいです。

デビューシングル「スローモーション」のジャケットから

 

中森明菜「スローモーション」

       鉛筆画・中森明菜 16歳

 

歌姫・中森明菜(スローモーション)

 

今日は歌姫・中森明菜のデビュー41年目になります。

 

鉛筆画をはじめたきっかけは明菜ちゃんです。12年前に持っていた唯一のCD「AKINA EAST LIVE INDEX-XXⅢ」の写真を見て、あんまり綺麗なのでおもわず近くにあった画用紙に描いてしまった。

 

それを写真を撮り、友達に送ったところ「絵がうまいね、よく特徴をつかんでる、似てる」といわれた。

 

自分も上手く描いたとおもったが 当時は…、今見ると恥ずかしい。

 

41年前は私も高校生でした。明菜ちゃんと同じ時代に生きてきたことは幸せです。

 

このブログで中森明菜とブルース・リーを中心の「鉛筆画」を描いています。

 

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新年あけましておめでとうございます!

 

「一年の計は元旦にあり」ということで今日は今年の自分の目標について語ってみたいと思います。

 

第一の目標は『7月20に喫茶店4¥「ブルース・リー カフェ&ミュージアム」(仮名)を開業すること。

 

第二の目標はランニングで好きなトラックの5000Mで20分を切ること。

 

    「截拳道」の創始者 ブルース・リー

ビジネスパーソンの必読書として有名なナポレオン・ヒル博士の『思考は現実化する』があります、その中に「成功の為の13の条件」がある。

 

その第一は「願望」、つまり目標を持つことが最も大事であると説いています。

 

ブルース・リーもこの本を読み『究極の目標』を書き自分を鼓舞していた。

自分もそれを見習って、目標を立て→計画→実行して行きます。

 

中森明菜(鉛筆画)

  歌姫・中森明菜

 

自分の「究極の目標」は美術館とカフェを一緒にした喫茶店を全国に展開すること。

 

自分自身の夢と目標としては

第一 最低2041まで健康で生きること。

第二 幸せな家族を築くこと

第三 親友100人を作ること(人生最大の親友・有馬くんにあること)

 

 

龍辰の年辰の刻に生まれた(ドラゴン)龍

鉛筆画 ブルース・リー(燃えよドラゴン)

 

11月27日7月20日はブルース・リーファンなら絶対忘れることができない日です。

 

11月27日は言わずと知れるブルース・リー(李小龍)の誕生日で、1940年にサンフランシスコのチャイナタウンの病院で、辰の年の辰の刻に生まれたドラゴン。

 

1973年12月22日に封切られた「燃えよドラゴン」に小学5年生だった僕は友達と一緒に見に行ったことを昨日のように覚えています。

 と言いたいところですが、中国で生まれた僕はそのごろは中国黒龍江省の田舎で友達に「日本人」などといじられながら楽しく暮らしていました

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1975年の8月に「中国残留孤児」の一家として日本に帰ってきました。

学校でクラスメートがブルース・リーのマネしたり、話ししたり、そういう環境の中で自然と自分もブルース・リーを好きになりましたが、ファンというほど好きじゃないなかった。

 

ブルース・リーや「空手バカ一代」の影響で高校では空手部に入り、3年間一生懸命に頑張り黒帯取りました。

 

ブルース・リーが格闘技を始めるきっかけの一つになったけど、当時はブルース・リーが武道家で映画俳優であることは知っていましたが、映画ほど強くないとおもっていました。

当時よく読んでいた梶原一騎先生の劇画「空手バカ一代」や「空手戦争」「四角いジャングル」の中で随分と低く扱われたのを信じていましたから。

梶原先生の劇画はノンフィクション(実話)のはずの中でかなりフィクション(創作)の部分はありました。

当時は子供だった自分はすべて信じていました……、 でも夢を与えてくれことに感謝もしていました。

 

 

鉛筆画 ブルース・リー

 

おとなになって鉛筆画を描くように(鉛筆画を描くきっかけ担ったのはブルース・リーです)なっていろいろ調べてわかったことは、ブルース・リーは映画以上に超人的存在でした。

本物の武道家で、唯一無二の男だと思います。

 

世の中によく「◯◯二世」や「第二の◯◯」という表現することありますが、ブルース・リーに関しては彼に匹敵する武道家やアクション俳優はお二度t現れないと断言できます、すくなくとも21世紀中に。

 

子どもの時分より今のほうがファンになっています、ブルース・リーを知れば知るほど好きなってしまうほどカリスマ性を感じます。

永遠のカリスマ

 

昭和の歌姫・中森明菜(鉛筆画)

 

中森明菜(鉛筆画)

      鉛筆画(中森明菜)

 

中森明菜はわたしにとって忘れられない存在です。

なぜなら、彼女がいなかった自分が鉛筆画を描くことはなかったかもしれない。

akina nakamori

中森明菜は松田聖子と並ぶ80年代を代表するアイドルで、デビュー当時からのファンでした(今でも好きです)。

中森明菜は山口百恵のようなすこしツッパてる感じが好きでした、中山美穂や三原順子(じゅん子じゃなく)も好きでしたね。

 

 

 

50歳の時に持っていたCD「AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII」を見て、あんまりにきれいなので、近くにあった画用紙に思わず描いたのが、鉛筆画を描くきっかけでした。

 

 

30年ぶりに描いたわりに上手く描けたので、メールで画像を友達に送ったところ、「特徴を捉えてよく描けてるな!」 と褒めてくれた。

 

 

このブログを立ち上げたのも「中森明菜」と「ブルース・リー」を中心にして自分が好きな有名人を描いていくつもりです。

 

中森明菜

 

中森明菜をず~と応援して続けていたいです。

 

明菜ファンに鉛筆画のリクエストにお応えしましす!!

 

木村拓哉の鉛筆画

 

木村拓哉(鉛筆画)

B5のケント紙に鉛筆で描いた絵です。

これはキムタク(木村拓哉)のファンの友達からのリクエストを受けて描きました。

 

 

11月6に織田信長(49)を演じる木村拓哉(49)が岐阜市中心部をパレードした「ぎふ信長まつり」が岐阜市の人口を上回rる46万人を集め、盛り上がりました。

 

 

毎日新聞社では経済効果は推定150億円だそうです、すごいですねキムタクフィーバー、

 

マドンナ(鉛筆画)

   マドンナ(鉛筆画)

B5のケント紙に鉛筆で描いたアメリカ歌手のマドンナ。

 

 

マドンナは「クイーン・オブ・ポップ」と称され、音楽にあまり興味のない人も「マドンナ」の名前を知っているでしょう。

 

特に、1987年に日本で行われたツアコンサートは特別に音楽に関心のなかった自分によくテレビで見ていましたね。

彼女の待つ独特な雰囲気が好きで、ショットのヘアに鍛え抜かれた体が魅力的でした。

 

 

鉛筆画のリクエストにも応じています(1枚無料)

 

 

人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す

  この人生では、何でも減らせば、その分だけ俗世間から抜け出すことができる。俗世間から脱け出せれば、それだけ気持ちが楽になる。わかりやすくいえば、あれもこれもとそんなに欲張りなさんな、といっているのである。

『菜根譚』では、さらに次のように語っている。
「たとえば、交際を減らせばもめごとから免れる。

口数を減らせば非難を受ける ことが少なくなる。

分別を減らせば心の疲れが軽くなる。

知恵を減らせば本性を まっとうできる。

減らすことを考えずに増やすことばかり考える者は、まったく 自分で自分の人生をがんじがらめにしているようなものである」

  現代の我々は、このどれをとっても増やさざるをえない傾向にある。とくにビジネスマンともなればなおさらだ。 しかし、どれか一つでも減らせば、その効果は意外に大きい。

   そうでなくても、現代はストレス社会だといわれる。これはとくにストレスに 悩む人には適切なアドバイスといえるのではないか。

 

中国古典「一日一話」

 

断捨離:わかっているけどなかなかできないものです。

 

独身時代は友達に「お前は悩みがないのが唯一の悩みだ」と言われたほど毎日テキトーに生きてきました。

そんなノーテンキな自分にも家族ができ、悩みというモノを持つようになりました。

 

物質な荷物も、心の荷物も増えてきます。

口数減らし、交際減らし、物を減らしたら少しでも身も心が軽くなれば人生がより楽になれるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌:1974年8月臨時増刊「スクリーン ブルース・リー 魅力特別号」

特集 空手映画オール・ガイド

 

 スクリーン ブルース・リー 魅力特別号表紙

 

  たった一本でスターの座を獲得した俳優は多い。しかしその後はふるわず消えていくこともまた多い。

  たとえスター街道を突進したとしても、老いには勝てずかつての魅力は薄れていく。

たった三本でこの世を去ったジェームズ・ディーンを持ち出すまでもなく、永遠 のスターとなるにはスイ星のごとく現われ、同じようにこの世を去って行かなければならない宿命なのか。

  ブルース・リー・ファンにとって、永遠に彼の新作が見られないのはさびしさと同時に、わずか四本の中で見せてくれた勇姿が永遠に心に焼き ついていることで、悲しい喜びとして心に残るだろう。

 

ドラゴン怒りの鉄拳

 

ドラゴンへの道
 

ブルース・リー  魅力特別号

 

目次

 

★特別読物 実録決定版!”燃えるドラゴン”ブルース・リーのすべて(松田隆智)

1、功夫とはなにか?

2、ブルース・リーの幼少時代(その生い立ちと子役時代)

3、ブルース・リーの武術修行(太極拳、螳螂拳、詠春拳、功力拳、テコンドー、截拳道)

4、アメリカ時代のブルース・リー(リンダとの結婚)

5、映画界におけるブルース・リー(グリーン・ホーネット、かわいい女、ロング・ストリート、ドラゴン危機一発、ドラゴン怒りの鉄拳、ドラゴンへの道、燃えよドラゴン、死亡遊戯、李小龍の生と死)

6、ブルース・リーの死(本当の死因とは?盛大をきわめた葬儀)

 

2大映画物語

ドラゴン怒りの鉄拳(本郷和彦)

ドラゴンへの道(松本宏彦)

 

★製作裏ばなし 

燃えつきたドラゴン 4本半の映画に賭けたその青春(日野康一) 

 

★グラフ

空手映画特選決闘シーン(構成武藤晋)

勢揃い!空手スター・オン・パレード(佐伯健二) 

倉田保昭

ジミー・ウォング

ブルース・リャン

チャー・リー・チャン

ジム・ケリー

ジョン・サクソン

リー・フォマン

風間健

チェン・カンタイ

アンジェラ・マオ

ジュディー・リー


 

これから見られる空手映画ガイド(安田智彦)

 

ブルース・リー全作品アルバム

燃えよドラゴン

ドラゴン怒りの鉄拳

ドラゴンへの道

ドラゴン危機一発

 

倉田保昭

 

女ドラゴン(アンジェラ・マオ、ジュディー・リー)

 

 

 

 

ブルース・リーと倉田保昭

 
倉田保昭とブルース・リー

 

ブルース・リー

 

ブルース・リー

1940年11月27日サンフランシスコ生まれの中国系アメリカ人で、18歳まで香港で育った、ケンカ好きな不良少年で、ケンカに強くなるために13歳から中国武術「詠春拳」を学ぶ。

 

1959年に渡米、アメリカ人を相手に自分が創出した「振藩功夫」を教え始める、後に様々な世界の格闘技・ボクシング、カラテ、柔道、テコンドー、フェイシングなどを研究し、のちに「截拳道」を創始。

 

1964年に「国際カラテ選手権」のデモンストレーションをきっかけにテレビドラマ「グリーン・ホーネット」の出演。始め映像の世界に入る。

 

1971年より香港映画「ドラゴン危機一発」、1972年に「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」。

 

1973年に次回作「死亡遊戯」の撮影中にアメリカの映画会社ワーナー・ブラザースよりアメリカと香港の合作のハリウッド映画「燃えよドラゴン」の話が持ち込み、2月に撮影開始、7月20日に「燃えよドラゴン」のアメリカ公開の一ヶ月前の急死した。

 

倉田保昭

倉田保昭さん

1946年3月20日茨城県生まれの空手道五段、柔道三段、合気道二段の武道家でアクション俳優。愛称「和製ドラゴン」

 

1971年香港の映画会社「ショーブラザーズ」の「悪客」でデビュー、以後「帰ってきたドラゴン」「ドラゴン世界を征く」など数多くの香港アクション映画に出演。

 

またジャッキー・チェン、ジェット・リー、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウとも共演。

日本では「Gメン'75」や「闘え!ドラゴン」などのドラマにも出演されてます。

 

ブルース・リーと倉田保昭

 

倉田保昭さんで一番印象に残っているのは「Gメン'75」の中の「香港マカオロケシリーズ」でしたね。

「Gメン'75」はドラマそのもの好きでしたが、その中でも特に倉田保昭さんとヤン・スエを中心とした香港カラテ軍団との対決が一番面白かったです、倉田保昭とヤン・スエが何度も対決してるのが面白いね、今考えると可笑しい部分たくさんあるけど、当時は子供たっだので純粋に楽しめた。

 

予告編から興奮していました。当時は香港=カラテ(カンフー)映画でしたから、このイメージはすべてブルース・リーと倉田保昭さんから来ていますね。

 

倉田保昭さんの映画で最も印象に残ったのはブルース・リャンと共演した「帰ってきたドラゴン」と「ドラゴン世界を征く」ですね、まち中を走りながらの打ったり蹴ったりの格闘シーンは迫力満点でした。

ドラゴン世界を征く」はブルース・リーの「ドラゴンへの道」を意識して同じローマロケを敢行したそうです。

 

倉田保昭さんはブルース・リーと同じ武道家、俳優と共通点が多く、まだ数少ない実際にブルース・リーあったことがある日本人で、「和製ドラゴン」にふさわしい活躍されています、これからも元気で頑張って欲しいですね。

 

ブルース・リーと倉田保昭は子供のごろからの憧れでした。

 

ブルース・リー名言

絶え間なき努力、それこそ社会に対する貢献である。

 

 

 

 

 

  鉛筆画 ブルース・リー(死亡遊戯)

 

この絵は初期の頃に、B5の画用紙に描いたものです。

 

本当はA4以上で描いたほうが良かったかもしれない。

B5だと小さいので描きづらかった、初期のごろはそれもわからずに描いていました。

それにしてもよく描けたと思う。

 

今はすべてケント紙を使っています。

近いうちにA4以上のケント紙でもう一回描いてみようと思う。

 

ブルース・リーファンの方に、

画像を送っていただければ鉛筆画のリクエストに応じます。

 

お申込みはこちら

 

 

雑誌 格闘Kマガジン  2000年9月号 特集 ブルース・リー魂の降臨

 

 

ブルース・リーの「死亡遊戯」の完全版の紹介、

「死亡遊戯」は1978年にロバート・クローズ監督による制作されましたが、ストーリーはブルース・リーが考えたものと全く違ったものとなっていて、120分あるフィルムの中から13分しか使わずなかった。

ファンの不満が高まる中12ぶりに制作されたのが日本では『BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯』(この時は『G.O.D 2000』となっています)で、アメリカでは『A Warrior's Journey』(勇士の道程)として制作された。

 

格闘 Kマガジン ブルース・リー 魂の降臨

 

ブルース・リー 魂の降臨

 

真・死亡遊戯が完成される!!

 

ダン・イノサント師父が語る撮影当時の思い出

 

死亡遊戯 復活への道

 

月刊 格闘Kマガジン

格闘技とは、見て楽しんで感動するもの。
格闘技とは、汗を流して自らを強くするもの。
格闘技とは、弱い自分に打ち勝ち、
勇気を与えてくれるもの。
格闘技が我々に与えてくれる、
勇気と強さと感動の全てを、
この一冊に込めて。
本誌は君の超人伝説を応援します。

目次

カラーグラフ
特集
 
ブルース・リー 
 魂の降臨

 今甦る、その姿、その動き
 そして編集部が思想と技術を完全公開 
 今年、日米で2つの真『死亡遊戯』が完成さ れる中村頼永
 格闘家ブルース・リー秘伝伝承
 隠された必打必倒の原理指導=中村頼永
 ダン・イノサント師父が語る撮影当時の思い出
 日本版「死亡遊戯』復活への道
 
特集 格闘家ブルース・リー秘伝伝承
     隠された必打必倒の原理指導=中村頼永
     ドラゴンマニア最新情報
     ジークンドー講習会
     

盧山初雄の達人空手 手刀3
ゴッドハンドの妻に訊く!大山智弥子さんインタビュー
K-1 JAPANGRANDPRIX決勝戦
極真第17回全日本ウェイト制空手道選手権大会
高岡英夫の格闘技進化論
孫立会長から意拳を学べる!国際意拳会が本格オープン
黒澤浩樹インタビューなぜ日本オオカミは戦い続ける?

ぺん獣やざま優作の格闘絵日記
Tomoちゃんのキャピキャピでも格闘技
FUDOKANキューティスリーのShall We Kick?
マッキーに訊け! 
6・11第11回テコンドー全日本
6・11アルティメットボクシング
6・18MA日本キックボクシング
6・20全日本キックボクシング
6・26パンクラス
6・26Jネット
7・1G.C.M.コンテンダーズ
7.2正道柔術

武道教育学入門  富樫宜資

ニュースファイル
格Kネットワーク
GAME OF DEATHレトロスペクティヴ
知られざる空手バカ一代
WOWワンダフルKARATE<空手讃歌>大山泰彦

2000 SEP. 表紙写真=ブルース・リー(写真提供=中村頼永)