ブルース・リーと倉田保昭

ブルース・リー、
1940年11月27日サンフランシスコ生まれの中国系アメリカ人で、18歳まで香港で育った、ケンカ好きな不良少年で、ケンカに強くなるために13歳から中国武術「詠春拳」を学ぶ。
1959年に渡米、アメリカ人を相手に自分が創出した「振藩功夫」を教え始める、後に様々な世界の格闘技・ボクシング、カラテ、柔道、テコンドー、フェイシングなどを研究し、のちに「截拳道」を創始。
1964年に「国際カラテ選手権」のデモンストレーションをきっかけにテレビドラマ「グリーン・ホーネット」の出演。始め映像の世界に入る。
1971年より香港映画「ドラゴン危機一発」、1972年に「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」。
1973年に次回作「死亡遊戯」の撮影中にアメリカの映画会社ワーナー・ブラザースよりアメリカと香港の合作のハリウッド映画「燃えよドラゴン」の話が持ち込み、2月に撮影開始、7月20日に「燃えよドラゴン」のアメリカ公開の一ヶ月前の急死した。

倉田保昭さん
1946年3月20日茨城県生まれの空手道五段、柔道三段、合気道二段の武道家でアクション俳優。愛称「和製ドラゴン」
1971年香港の映画会社「ショーブラザーズ」の「悪客」でデビュー、以後「帰ってきたドラゴン」「ドラゴン世界を征く」など数多くの香港アクション映画に出演。
またジャッキー・チェン、ジェット・リー、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウとも共演。
日本では「Gメン'75」や「闘え!ドラゴン」などのドラマにも出演されてます。

倉田保昭さんで一番印象に残っているのは「Gメン'75」の中の「香港マカオロケシリーズ」でしたね。
「Gメン'75」はドラマそのもの好きでしたが、その中でも特に倉田保昭さんとヤン・スエを中心とした香港カラテ軍団との対決が一番面白かったです、倉田保昭とヤン・スエが何度も対決してるのが面白いね、今考えると可笑しい部分たくさんあるけど、当時は子供たっだので純粋に楽しめた。
予告編から興奮していました。当時は香港=カラテ(カンフー)映画でしたから、このイメージはすべてブルース・リーと倉田保昭さんから来ていますね。
倉田保昭さんの映画で最も印象に残ったのはブルース・リャンと共演した「帰ってきたドラゴン」と「ドラゴン世界を征く」ですね、まち中を走りながらの打ったり蹴ったりの格闘シーンは迫力満点でした。
「ドラゴン世界を征く」はブルース・リーの「ドラゴンへの道」を意識して同じローマロケを敢行したそうです。
倉田保昭さんはブルース・リーと同じ武道家、俳優と共通点が多く、まだ数少ない実際にブルース・リーあったことがある日本人で、「和製ドラゴン」にふさわしい活躍されています、これからも元気で頑張って欲しいですね。
ブルース・リーと倉田保昭は子供のごろからの憧れでした。
ブルース・リー名言
絶え間なき努力、それこそ社会に対する貢献である。