9月4日付け朝日新聞の「あの日で止まった街」(福島浪江町ルポ)の記事を読んだ。
「小学校の校庭は草がひざの高さを超え、牧草地のようだ。耳にタグをつけた牛7頭がこちらを見ている」
「原発から約12kmの苅野の小学校、8.29マイクロシーベルト。震災直後は避難所だった。3月12日の夜まで1500人ぐらいいたんですよ。あの時の線量の線量はどれくらいあっ他の火。今ではわからないままです。」などの記事が目に付いた。
放射能汚染で人が住めなくなくなった街、草が伸び家畜が走り放題。再び人がすむことができる日はいつの子yとか。心が痛む。
避難所での被曝、当時の被曝量がわからない。との記事。住民の不安はいかばかりか。国に危機管理のずさんさ 人の命の軽視に怒りを感じる。
事故が起こってからでは遅い。日常的な放射能観測体制の必要性を明らかにした記事だ。
放射能観測の必要性を感じていない枚方市。観測装置の設置を実現したい。