今は「やる気」もお金で買う時代 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

今から10年位前、いわゆる自己啓発セミナーが台頭する前の時代には「気づき」をお金を出して買うなんて有り得ないという人が多かった。時の経過とともに多くの人たちがその手のセミナーに高額なお金をつぎ込み「気づき」を買うようになった。


書籍→講演会→CD→セミナー→選ばれた人たちが行く高額セミナーと階段を昇らされて、多額のお金をつぎ込んで「気づき」を買うようになる。


つぎに人は「気づき」だけでは変わらないと解る。そして今度は「モチベーション」を上げるセミナーやそれを職業とする人たちが台頭してくる。今は「モチベーション」や「やる気」をお金を出して買う時代なのだ。


いずれ人は気がつくだろう、見せかけの興奮によって得られた(「モチベーション、やる気」以下「やる気」)では何も変わらないと。


じゃあなんでお金を出してまで「やる気」を買わなければならないのだろうか、それは「何かをしなくてはいけないよ」という声が囁きかけてくるからだ。ドストエフスキーは著書『悪霊』でそのことを書いている。「悪霊」は安定している人に囁きかけてくる「そのままではダメです。何か行動しなければあなたに価値はありませんよ」と。


「悪霊」は厄介だ、行動して自分を成長させないと自分には価値がないと暗示をかけてくる。だからお金を使って「やる気」を買うのだ。「悪霊」に取り付かれ、「やる気」をもって成長しなければ自分には価値がないと思い込んでいるので、なんでもない当たり前の出来事や偶然の出来事を「やった、行動したから変われた」と強引に結び付けてしまう。


今の日本は「悪霊」に取り付かれた人がいっぱいいる。



さて、話は少し変わる。


以前はそんなことで悩む人はいなかった。だってそんなことを考える余裕などなかったから。


映画「三丁目の夕日」に出てくる大人たちは戦争から帰ってきて焼け野原になった日本を復興させるために必死で働いた。そして映画に出てくる堤慎一は自動車工場を大きな自動車会社にすると情熱をもって働いている。


不安定だから「情熱」が生まれるのだ。


生前黒澤明監督にもう一度「七人の侍」を作らないかと話を持ちかけた人がいたそうだ。それに対して黒澤監督は「バカヤロウのいまの俳優に侍を出来るヤツがいるか」と答えたそうだ。現代の端正な顔立ちの俳優と昭和30年代に活躍した俳優は明らかに違う。今の俳優には「情熱」が感じられない。


我々は経済発展をするに従って「情熱」を失っていった。


その失った「情熱」の変わりにお金を出して意味のない「やる気」を買っているのが現代です。


最後にこのブログで度々紹介している、執行草舟 著 『根源へ』から。


安倍公房著 『砂の女』についてこう書かれています。


以下引用


『砂の女』については、非日常の世界がいかにして日常と化するのかが問われています。そして、その逆もまたありきです。現代の惰性が、そのまま未来へ繋がっていく恐ろしさを、砂という物質を使って表現しています。砂に閉じころられて自由を奪われた人間が、そこからの脱出を図り続けるが、そのうちに、その生活に言い訳とそれなりの価値を見出していくのです。つまり、情熱の喪失の過程です。


その結果、自由を夢見る人間が、どのようにして現実の日常性に埋もれていくのか。その鍵を、安倍は「保証」に求めたのです。この保証には生活と食糧、そして性欲までもがとり込まれています。保証が自由や情熱を奪い、人間を日常性の中に取り込んでいくのです。その恐ろしさが「蟻地獄」のように我々の眼前に展開される。


そして、自由を求めていた主人公は、最後に「べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ・・・・・・逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである」と考えてこの小説は終わっている。


引用以上


現代人は衣食住が満たされるようになりました。つまり「保証」された日常を送っている人が多いのです。そのため情熱は喪失し「まあ、いいや」となってしまっている。でも、それだけでは不安になる。だからお金を出して「やる気」を買って安定しようとしているのではないでしょうか。


衣食住を満たすために働く必要もないくらいに安定している人たちは、この蟻地獄から抜け出すことは容易ではないでしょう。


「情熱」を取りもどさなければなりません。もちろん今の安定と言う保証の中で生きるのもありですが。


皆さんは心の中に「情熱」がありますか。情熱とは先日記事に書いた「狂」でもあります。