人生とは、不合理の極みを生き切ること | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

前々回の記事に書いた文章「人生とは、不合理の極みを生き切ること」について先日ネット上でのあるやり取りで「ああこういうことなんだな」と感じたので書きます。

いきなり政治の話です。

「集団的自衛権」の問題について。

私は戦争はしたくありません。出来れば戦いたくもありません。これからも戦争の悲惨さは伝えていかなければならないと思っています。それと同時に「戦争とは何か」「なんで戦争が起るのか」についても伝えていかなければならないと考えています。

ある人がネット上で「絶対に戦争はしたくない。とにかく話し合いで全て解決しよう。何があっても私たちは戦ってはならない」と書いていました。

そこで私は次のように書き込みました。

「戦争は嫌ですし、戦争はしたくありません。でも現実に戦争は存在し我々が望まなくても戦争に巻き込まれることがあります。その時に戦うにも覚悟がいりますが、同様に戦わないにも相当の覚悟がいります。その覚悟はありますか?」

すると

「当たり前だ、戦わない覚悟は出来ている、馬鹿じゃないのかそんなことを聞くお前は・・・」と。

この手の人たちの特徴は自分の意見に少しでも異を唱える人にとても「好戦的」です。

それに対して私は「戦わない覚悟とは、戦わなかったことで受け入れなければならない現実を受け入れる覚悟のことです。その覚悟はあるのですか」と返しました。

するとその相手は「そこからは話し合いで友好を築いていけばいい」と返信して来ました。

私・・・心の中で「あーーーやっぱり覚悟・・・というよりその後の現実を想像する力も無いのだな」と思って次のように書きました。

「戦わなければ占領されることになります。予想される現実は、天皇陛下の処刑、神社の破壊、日本語の使用の禁止、相手国の民族が流入して若い女性は強制的にその男性と結婚して子どもを産まされる。逆らえば直ぐに処刑される・・これが占領下において起りうることだけれどこれを受け入れる覚悟はあるのか、いずれにしても我慢の限界を超えたら今度は悲惨を極めるゲリラ戦になるのです」と書き込んだら・・・・・

もう大変でした。

「お前は軍国主義者」「人を恐怖で脅して戦争に駆り立てるファシスト」「お前みたいな奴は人が死んでもなんとも思わないのだろう」「自分の子どもを戦場に送っても心も痛まない冷酷人間」・・・とても全てを話し合いでと主張している人とは思えない友好的な言葉を投げかけてきました。


「戦う覚悟」と「戦わない覚悟」という相反する不合理を常に考えて無限回転させる事により生まれるエネルギーが問題解決には必要です。だからお互いの現実をリアルにイメージしなければなりません。この不合理の葛藤に耐え切る力、陰陽の無限回転が新しい希望を見出すのです。

画像だと



 これが無限回転することでエネルギーが生まれそれが物事を成し遂げるエネルギーとなるのです。

多くの日本人はこの相反する不合理と、とことん向き合い葛藤し答えが出ない状態に耐える力が欠如していると思います。

さて、ネットでやり取りがあった相手の男性はどうだったのでしょう。おそらく戦う現実にも戦わない現実にも向き合う強さがなかったのではないでしょうか。答えは簡単に出ませんし辛いですからね。

これはこの件に限らずあらゆることに言えることだと思います。

葛藤し、答えが出ない苦しみに耐えて待つ。

これが出来ないからノウハウに走ったり、直ぐに合理的な答えに走ったり、「これが正しいですよ」という言葉に走ってしまう。

それでは進化はしないのです。

今日は難しい話になってしまいました。

ひとつ動画を紹介します。是非見ていただきたい動画です。いま中国では爆破テロが頻発しています。この動画はその爆破テロと深い関係があります。また占領されるとはこういうことなのだとわかる動画でもあります。