「諸君、狂いたまえ」 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

三年ほど前に中国の古典を教えていただいている師から「あなたの内には狂がある」と言われたことがありました。

そしてあなたの内にある「狂」に魅力を感じて引きつけられる人もいれば、それを受け入れるのが嫌で離れていく人もいると。


吉田松陰は「狂」と言う言葉を好んで使い自らを狂愚と名乗りました。以前からそのことを知ってはいましたが自分の中では何のことやら意味が分らずに今まで過ごしてきました。


最近、闘病の14年について書いたこともあってか当時の夢を何度か見ました。それがきっかけで久しぶりに感情のワークをしてみた。


そして出てきた感情は・・・・・・


忘れていた・・・・封印していた感情が湧きあがってきました。


あれは正にどん底の状態で、自殺も出来ず絶望の中を生きていたある日のこと「この宿命は受け入れよう。なんで自分がこんな目にあうのかは分らないけれど・・・・このままじゃ終われない」


そして「絶対に這い上がる、そのためには何でもやる、もしかしたら人を傷つけるかもしれない、騙すかもしれない、非道徳的なことをするかもしれない、でもこのままで終わらせない。もし神がそんな私を許さないと言うのならば私を裁けばいい、それでも私はかまわない、絶対に這い上がる」と。


その時に肚(はら)から湧き上がる振動で全身が震え熱いものがこみ上げてきた。人生で初めての経験だった。


自分は弱い人間なので本当に辛い時は弱音も吐いたし涙も流した。それでも前に進み続けたのはこの魂の振動が有ったからだと感情のワークで理解できた。


醜い姿で積極的に外に出て人前で話をした。どんなに辛く苦しくても明るく笑顔で人と接した。


なりふり構わず・・・前へ、前へ。



当時を知る友人は「お前はどこにでもいた」と言った。


合理的に考えれば人前に出ると多くの人から「気持ち悪い」と言われるのを知っていても積極的に外に出て行き人と会った。それだけに留まらず人前で話をしてセミナー講師みたいなことをやった。ただでさえ身体の状態が良くなくて辛いのにものすごく活動的・・・・・こんなことって「狂」じゃなくてはとても出来ません。


つまり・・・・あの時私は「狂」だったのだ。狂うことで常識を打ち壊す。


「狂」とは情熱である。


言葉が薄っぺらになってしまった今の日本では「狂」をクレイジーと訳す。


本来の「狂」は自分でも持て余してしまう「情熱」のことです。


吉田松陰の辞世のひとつ


「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」


意味は、こうすればこうなると結果がわかっていてもやらなければならない時がある、それが情熱であり大和魂です。


当時の私も外に出ればいままで以上にひどい言葉を浴びることはわかっていたし傷つくこともわかっていた。「でもこのままじゃ終わりたくない」という情熱が自分を「狂」ともいえる行動に駆り立てていた。


いま読んでいる執行草舟 著 『根源へ』で情熱についてこんなことが書かれていました。


人生とは、不合理の極みを生き切ることです。


不合理を受け入れることが、人間の生命を躍動させている。


人生とは、自己固有の運命を生き切ることに他なりません。運命は、自分が自分自身と出会うことによって発現するのです。自己の認識を持たぬ者に、自己固有の運命は発動しないと知らなければなりません。運命は、この世にただ一つしかない自己固有のものですから、他と比較を絶するものなのです。運命を引き寄せるには勇気がいる。その勇気は、自己の宿命を受け入れることによって生まれます。だから、自己固有の運命を本当に生きたければ、まず宿命を受け入れなければなりません。初めに宿命を明らめ(明らかにして極めること)、その上で、運命を語りたいと思うのです。


ドン・キホーテは、なぜ「情熱の騎士」になったのか、それは彼が徹底的に「絶望した人間」としての人生を歩んだからです。徹底的に絶望したからこそ、本当の希望が生まれたのです。つまり、不可能性の中における可能性を見出したのです。不合理性の合理性ということにもなりましょう。


他人から嘲笑され、打ち負かされたことで、ドン・キホーテは偉大になりました。つまり、人生の勝利者になったのです。何が勝利なのか、彼が受難と呼ばれる苦悩に満ちた人生を、その情熱によって生き切ったからです。


引用以上


人生の不合理と戦い、それを受け入れ、認めるところから本当の希望が生まれる。その希望に向うエネルギーこそが「情熱」であり日本で言えば「狂」なのです。


いまの自分にかつての「狂」の面影はなく安定している。ただ自分の内の奥深くに「狂」は存在しているのだ。そのことを師は「あなたの内には狂がある」と表現されたのでしょう。


「狂」とは合理的ではありません。効率的でもありません。とても厳しいことだらけです。だから私から離れていく人は合理的であり効率的であり楽が好きなんだと、傲慢ですが以前言われたことに納得しています。


これから「狂」を出していきます。


ターゲットは・・・・このブログを読まれている人には何となくわかると思います。薄っぺらな「成長お助けビジネス」の連中と「狂」で戦います。


今日の題「諸君、狂いたまえ」は吉田松陰が松下村塾の門下生に言った言葉です。そして多くの門下生が「狂」となり明治維新を成し遂げたのです。