火事場の馬鹿力と言う言葉があります。意味は「火事の時に、自分にはあると思えない大きな力を出して重いものを持ち出したりすることから、切迫した状況に置かれると、普段には想像できないような力を無意識に出すことのたとえ」とあります。
心理学者チクセント・ミハイはこれを「フローの状態になる」と言いました。
別の例として以前紹介したこの文章。
小室 等 著『人生を肯定するもの、それが音楽』より引用
『あいつ』
いい演奏ができたのは、「あいつ」がいたからだと。目には見えない「あいつ」としか言いようのないなにかが、今しがた確かに来ていた。
けれど「あいつ」が、二度三度続けてやってくることはまずないのです。
「あいつ」がやってくるというのはどういうことかと言うと、自分で演奏しているのではなく、自分が演奏させられているということです。つまり、「あいつ」が来た時の演奏というのは、自分自身が自分で把握できている能力や才能の、その範囲を超えた外の出来事なんです。
「あいつ」にたびたび来てもらうには、そのミュージシャン自身に自分の能力が十分に備わっていることと同時に、そのミュージシャン自身が自分の能力と才能の限界を痛いほど知ってもいる。自分が到達すべきところに到達できていないということを深い次元で自覚しているミュージシャンでなければならないと、僕は思います。
自分の上手さはそのつど、その時点での上手さにすぎないという自覚が足りないから、ではないでしょうか。
そんなところにやってきてくれるほど「あいつ」は優しくない。
「あいつ」の存在を感じられるもの、それが本物です。
引用以上
小室 等さんは他に「あいつ」はこんなところにあらわれると言っています。
・危険の伴う所
・からっぽの所
・限界ギリギリの所
・毎日同じ時間に仕事場にいることを自分に課すこと。
この文章を読むといつも考えさせられる。そして次に浮かぶのが知り合いの社長が、元プロ野球選手の王さんから言われた「結果が出ないのは努力不足です」と言う言葉。
人は自分には甘いから「自分は精一杯やっている」と思っていても大体他人からみたら全然ダメってことが多いじゃないですか。
いろいろと思いにふけって、沢山の気づきに一喜一憂しているのも、以前紹介した元格闘技チャンピオンの人が言った「暇なんだよ」ということ。
それってやっぱり努力不足だし、出し切っていない。だから小室さんが言われる「そのミュージシャン自身が自分の能力と才能の限界を痛いほど知ってもいる。自分が到達すべきところに到達できていないということを深い次元で自覚している」というレベルには達することが出来ないわけ。
つまり・・・・・「あいつ」は絶対にやって来ないってこと。
岡目八目という言葉があります。自分以外の人が自分自身を見て「楽そうでいいよね」なんて言われたらもう絶対ダメってこと。
そうならない為にも、いまの自分の使命、役割を全力で果たすとともに、昨日の記事「自分の努力家の部分を眠らさない」これはやり続けなければ人生で一度も「あいつ」に会えないなんてことになります。
みなさん「あいつ」に会いたいですか、それとも会いたくないですか。